「愛」の再考を!ー与えられた「いのち」を生かすために
〈評者〉千葉宣義
著者は「まえがき」で、この本の内容は「私が肝ガンの告知を受けてから、生きること、愛することについて考えたことである」と述べている。その闘病生活の渦中にあって、名古屋の教会の伝道集会での説教と講演、静岡県富士地区での反ヤスクニ集会での講演を収録し、「序章」で「説教・講演では十分に述べられなかったことを付け加えた」としている。
著者は横浜出身だが、説教であれ講演であれ、その語る根底にいつも日本と歴史を異にし、さまざまな差別にあってきた沖縄という地に立脚し、「神によっていのちを与えられ愛されている自分を生かし、愛をもって相手と向き合い、共感し合う関係」を大切にする思想・姿勢を据える。そのために著者が取り組んできた現実の批判すべき問題については、調査・分析、現状把握を徹底し、その困難な課題とどう向き合うかを諮ろうとする。そして沖縄の米軍基地の現状や、その背後にある日本政府の政治的謀略や隠蔽等を明らかにし、さらには天皇を政治利用し国家へと人々を統合する国家と住民との歪んだ関係を批判的に問う。
著者は、その課題に対してアルノー・グリューンの思想を紹介している。グリューンはドイツ・ベルリン生まれのユダヤ人で、ナチスの迫害を逃れ米国に移住後、再びヨーロッパに戻りチューリッヒで精神療法の診療所を開設した。グリューンの著書『私は戦争のない世界を望む』と『従順という心の病い』を著者は翻訳している(ヨベルで購入可)。グリューンは、私たちの心が憎しみや差別、暴力や戦争を生み出すと指摘し、その心の動きを解明し、「共感」こそが差別や暴力を克服すると結論づけた。
著者はグリューンに学びつつ、イエスが教え実践した「愛すること」こそが個々の人間に個性をもたらし、多様性の上に成り立つ平和な世界を実現すると言う。そして「愛すること」が神から個々の人間に「贈り物」として与えられている「最大の可能性」だが、人間はこの「可能性」を誤解していると述べる。著者は、高尚な愛(アガペー、無償の愛)とそれ以外の低俗な愛(エロス、欲望)を区別し、「無償な愛」「自己犠牲的な愛」「献身的な愛」を固定概念として人に強要するのは誤りだと言う。また「愛されること」つまり認知欲求は、「愛すること」の誤解だと主張する。つまり同調圧力の強い日本では自分を押さえて相手の気に入るように振舞うことが多いが、権力者や権威者の意向のままに、あるいは何らかのシナリオに生きようとし、自分を殻に閉じ込めるのは「愛」ではないと言う。不完全な人間が愛するということは、間違うかもしれないという冒険的な行為かもしれないが、相手との自由で創造的な共同作業でもある。著者はこのように、「愛すること」の再考を厳しく問う。
著者は、その上で、不完全な人間が「愛し合い、多様性を認め合い、ともに生きるときに、希望を持つことができる」と結んでいる。混沌とした時代の中にあって、荒れた地に花を咲かせるために、教会や任意の集いで読書会のテキストとして用いられるようお薦めしたい。
最後に、著者の闘病生活の上に神の守りと支えを共に祈りたい。
荒れ地に咲く花
生きること愛すること
村椿嘉信著
四六判・158頁・1320円(税込)・ヨベル
教文館AmazonBIBLE HOUSE書店一覧
千葉宣義
ちば・のぶよし= 八幡ぶどうの木教会代務者