バッハ音楽の源流となったコラール詩人たちの系譜
〈評者〉釘宮明美
本書はルター派の讃美歌、すなわちルターを創始とするドイツ・コラールの宗教改革期から敬虔主義の時代に至るまでのコラール詩人たちの系譜を辿る。副題に「J・S・バッハに耳傾けつつ」とあるように、彼らのコラールがバッハの楽曲にどのように生かされているかがコラールの全体像とともに解き明かされる。
取り上げられるコラール詩人は、M・ルターに始まりJ・ヨナス、N・デーツィウス、N・ヘルマン、S・ハイデン、P・シュペラトゥス、ブランデンブルク公アルブレヒト、J・グラーマン(以上、宗教改革期)、A・ロイスナー、J・レオン、M・シャリング、Ch・クノル、V・ヘルベルガー、Ph・ニコライ(以上、宗教改革に続く時期)、J・へールマン、P・ゲルハルト、J・リスト、M・フランク、J・フランク、J・ノイマルク(以上、三十年戦争期)、S・ローディガスト、J・ネアンダー(以上、敬虔主義の時代)。いずれも文学史の中では顧みられることが薄く、評者も初めて知る詩人が多かった。しかし、その豊かな宗教詩の伝統には瞠目するばかりであり、「言葉の真実がもつ力」の淵源に立ち返るよう促される。
バッハの音楽を鑑賞するとき、曲に身を委ねるだけでもその素晴らしさを味わうことができるが、著者は特に歌詞に着目し、「言葉」と不可分なバッハ音楽の詩的・造形的な構築性を指摘する。「歌を通しても神のみ言葉が人々の内に臨むように」というルターの根本精神に立ち戻りつつ、コラール原典や聖句の引照箇所について、著者の比喩を借りれば「切り出されて美しい台座に嵌め込まれた石が、いかなる岩場から見出されたか」を源流に遡るように掘り当てていく。それによって先人たちの積み重ねてきた詩と信仰の世界が、幾重にも生起する「言葉」の出来事の動態として立ち現れる。
例えばバッハが二二歳時の作、カンタータ第一〇六番「神の時こそいと良き時なれ」。詩編九〇編に呼応したJ・レオンのコラール「わがことは神に託せり」の旋律が器楽だけで暗示的に用いられ、さらにルターのコラール「平和と喜びもてわれは往く」の第一節が歌われ、最後にJ・ロイスナーのコラール「主よ、汝にわれ望みを置けり」が斉唱される。死と罪に縛られた人間の魂が福音を告げるキリストの「言葉」に出会って神に受け止められ、新しい命を生きる希望へと変えられる。苦難と困窮の只中で神の恵みに出会った「われ」は、救われ解放された喜びと感謝を「われら」の神への共同体の信仰告白として神を賛美する。先人に生じた聖書の「言葉」との出会いが自己の内で受け取り直され、新たな「言葉」の出来事が創出されていく。
身体性を伴う音の響きに霊の息吹を感じ取る著者の言葉と身体をめぐる繊細な洞察は、長年にわたるJ・G・ハーマン研究に裏打ちされている。著者は「聖書詩学」を志向する詩人としても知られるが、本書の底流には詩における伝統と革新、さらには人間が現実に生きる基盤となる共同体と個の関わりについて現代を省みての問題提起があることを看過してはならないだろう。現代仮名遣いを用いた著者独自の美しい文語訳も味わいたい。















