物語に聞き、物語を生きる
〈評者〉梅澤弓子
本書は濱氏の前著『傘の神学Ⅰ 普遍啓示論 そこに立ち現れる神』(2024年)の後篇にあたり、もともと両書は一冊として書きおろされたものであるという。2020年に出版された『人生のすべての物語を新しく:シェルターの神学から傘の神学へ』からすると通算三冊目の著書となる。
さて、濱氏が提唱する「傘の神学」のひとつの特徴は、「普遍」と「特殊」とを二項対立的に捉える構図を脱却し、「二重性」というパラダイムで語りなおすところにあるといえよう。本書の主題である「啓示」についても、「キリスト教」という限定を超えてすべての人間によって「直観」される「普遍啓示」と、イエス・キリストや聖書といったキリスト教独自の媒介を通してのみ「認識」される「特殊啓示」とは、「不可分・不可同・不可逆」な二重の在り方をしているというのが、大前提となっている。この神学的構えのもと、前著では、「普遍啓示」に焦点が合され、キリスト者に限らずあまねくすべての人々に注がれる「神の愛」と「救い/掬い」が強調されたが、本書ではイエス・キリストと聖書、また礼拝という「特殊啓示」が注視され、人間は他ならぬこの「特殊啓示」においてこそ神の言葉を聞き取ることができるとの確信が示される。
「特殊啓示」の中でも、本書でとりわけ熱情を以て進められるのが、聖書の検討である。福音派の牧師として「聖書は信仰と生活の最終的権威なのです」(189頁)と説く著者は、その根幹である聖書を「信仰の事実」「正典」「聖書主義と聖書信仰」「無誤性と無謬性」「釈義と解釈」など様々な角度から照射し、「今、ここで」わたしたちが「特殊啓示」である聖書を読むことの意義と意味とを尋ねてゆく。And、身を削る考究を経て「聖書をリテラリズム(字句拘泥主義)で読み解くのは間違いである」と論じるに至り、聖書を物語(ストーリー)として読む道を提示する。著者によれば、聖書を物語として読む時、人間は心が共感する部分において神の語りかけを聞き、その物語が示す生き方を生きるようになるという。そして、その時にこそ「わたしたちキリスト者一人一人の生もまた、神の啓示となるのではないでしょうか」(276頁)と濱氏は読者に呼びかける。
本書は日本ホーリネス教団の『教理読本』用に準備していた稿を土台としているとのことで、その含みを随所に感じるところではあるが、広い知見で神学史上の論争や諸説が整理して示されており、しかも平易な文体で語られていることから、教派や信仰の有無を問わず、学びのよきガイドとなることであろう。
聖書の読み方や聖書の権威をめぐる論考については、あるいは福音派周辺にあって異論の出るところかもしれない。しかし、本書の率直かつ果敢な発題を契機に議論が広がってゆくならば、それはまさに、著者が目指す、閉ざされた「シェルター」から開かれた「傘」へという神学の座の解放に繋がるものとなろう。














