2025年の春から約半年間、NHKラジオ「宗教の時間」で酒井陽介神父によるヘンリ・ナウエン(1932~1996)の講座が放送されました。
その中で酒井神父は、「思いどおりにならない現実」を抱えて生きる私たち現代人に、ナウエンの言葉がどれほど深い慰めと励ましを与え得るかを示しておられました。
ナウエンはローマ・カトリックの司祭であり、心理学とキリスト教霊性を結びつけた教師として知られています。そして彼の言葉やその背景となった生き様は、教派の違いを超えて多くの人の心をとらえてきました。北米では、プロテスタントの牧師たちに最も影響を与えた人物として、ビリー・グラハム以上に名が挙げられたほどです(1997年の調査)。邦訳もすでに30冊を超え、今も新しい世代の読者に読み継がれています。
酒井神父の放送期間、わたしは友人たちと定期的に講座内容を分かち合ってきました。その中で、次のステップとして、ナウエン自身の著作を共に読むとしたら何が良いかと思い巡らすようになりました。以下でご紹介する『傷ついた癒やし人』、『平和の種をまく 祈り、抵抗、共同体』、そして『アダム 神の愛する子』は、こうして思いついた三冊です。
『傷ついた癒やし人 新版』

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ナウエン・セレクション
『傷ついた癒やし人 新版』
・ヘンリ・ナウエン:著
・渡辺順子:訳
・酒井陽介:解説
・日本キリスト教団出版局
・2022 年(原著1972年)
・四六判
・168 頁
・1,980 円
本書は、ナウエン初期の代表作にして彼の思想の原点をなす一冊です。牧会学を学んだ人なら一度は手に取ったことがあるでしょう。しかし、これは聖職者のためだけの書ではありません。あらゆる人が他者に仕える「癒やし人」となり得るという普遍的なメッセージを持っています。ナウエンは、私たちが避けたいと思う傷、たとえば孤独や失敗や痛みこそ、他者を癒すために神が用いられる素材であると語ります。そこで指し示されるのは、傷を負った癒やし人であった主イエスのご自身の姿です。
実はナウエン自身も傷ついた癒やし人でした。たしかに彼の講義室には多くの学生が詰めかけ、彼もまた講演のために文字通り世界中を飛び回っていました。しかし、拍手喝采を浴びる日々を送りながらも、夜、自室に戻ると激しい孤独感に襲われたといいます。友人に寂しさを訴える電話をかけすぎて、家賃より電話代が高くなったという逸話も残ります。さらに、司祭として生涯独身であることを誓いながらも、カミングアウトできない性的指向との葛藤に苦しみました。その痛みを主イエスの光に照らして受け止めることが、霊的探求の原動力となりました。
共同体や低みに生きる豊かさを語ってきたナウエン。しかし実際に身を置いていたのはイェールやハーバードという高みを目指して孤独の中で競い合う場でした。こうしてナウエンは「神と人との真の交わり」への飢え渇きを強めていきます。そしてついに、大学を去ってラルシュ共同体という障がい者と共に暮らす場に身を移しました。世間はこれを慈善行為と見たかもしれません。しかし実際には、真実の愛を求める旅路の果てに行き着いた選択でした。
この遍歴の末に生まれた小著『イエスの御名で』(あめんどう、1993年)も短くご紹介しましょう。私自身、この書を青年時代に手にしたことがナウエンとの出会いとなりました。地道な関わりよりも権力に頼る誘惑、知性偏重になり身体性を軽視することの危険、導くよりもあえて導かれる者になる幸いなど、自分のあり方を深く揺さぶられる衝撃を受けました。その後も、自他の罪過や現実社会の難しさに苦しむ経験をしたとき、幾度も読み返してきた珠玉の一冊です。
『平和の種をまく 祈り、抵抗、共同体』

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『平和の種をまく─祈り、抵抗、共同体』
・ヘンリ・ナウエン:著
・渡辺順子:訳
・徳田信:解説
・日本キリスト教団出版局
・2024 年(原著2005年)
・四六判
・192 頁
・2,420 円
ナウエンは一般に「内面の教師」として知られていますが、その霊性は個人の内面だけにとどまるものではありません。彼の友人だった平和活動家ジョン・ディアが指摘するように、その生涯は「平和の霊性」に貫かれていました。祈りと抵抗、黙想と行動、そして個人の内面と社会とを結びつける、きわめて実践的な信仰のあり方です。
オランダに生まれたナウエンは、ベトナム戦争期のアメリカに渡り、キング牧師の非暴力行進に参加します。その後も核基地での座り込みや中南米の紛争への抗議など、平和の証人として歩みました。湾岸戦争前夜には首都ワシントンで一万人を前に説教し、平和をつくり出す者こそ、まことのキリスト者であると訴えました。
ただし、ナウエンの平和への取り組みは、一般的な平和運動とは一味違います。力に対抗しようと同じく力に頼ることを戒め、主イエスが、十字架とそこに至る生き様で示した非暴力と赦しに立ち返ろうとしました。彼は効率性やスピードの追求が、一種の暴力として戦争につながることを見抜いていました。それは教会も無縁ではなく、信仰の名の下に行われる力の行使に痛みを覚えていました。
ナウエンは祈りを、恐れや憎しみの連鎖を断ち切る静かな抵抗と見ています。祈りの中で神の無条件の愛に身を浸すとき、〝敵〟をも愛する自分を超えた力に気づきます。この愛に根ざした関係回復こそまず求めるべきものです。なぜなら、大きな組織や運動よりも、まず小さくされた人々との交わりの中に平和は芽生えるからです。それが主イエスの道です。
本書が教えてくれるのは、「祈り」「抵抗」「共同体」という三つの糸が一つに織り合わされてこそ、平和が形づくられるということです。平和は遠い理想ではなく、私たちが日々の関係の中でまく小さな種のようなもの。平和を願うあらゆる人々と共に耳を傾けたいメッセージです。
『アダム 神の愛する子』

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『アダム─神の愛する子』
・ヘンリ・ナウエン:著
・宮本憲:訳
・塩谷直也:解説
・日本キリスト教団出版局
・2020 年(原著1996年)
・四六判
・192 頁
・2,200 円
ナウエンの最高傑作は何かと問えば、読者によって答えは異なるでしょう。ナウエン研究者の故・大塚野百合先生は本書『アダム』を挙げています。ラルシュでナウエンが深く学んだのは、巧みな言葉に頼ることなく、生身の存在として人と関わることです。特に、戸惑いつつ始まった青年アダム・アーネットとの共同生活は決定的でした。
アダムは言葉を発することも、歩くこともできず、他者の支えなしには生きられない重度障がい者でした。ナウエンは、そのアダムこそが、どんな神学書や大学教授よりも深く主イエスへと導いてくれたと記します。大学で教鞭をとっていた頃、ナウエンはいわば「癒やす側」にいましたが、ラルシュでは「癒やされる側」になったのです。アダムの身体を拭き、食事を介助する日々─ ─そのような身体的関わりはナウエンに、苦難と愛に身を委ねた主イエスとの出会いを与えました。
人間の価値を生産性や能力で測る一般社会に対し、アダムの存在は「弱さのうちにこそ神が住まう」というキリスト教的逆説を体現しています。その意味でこれは障がい者論にとどまりません。私たち人間は偶然に左右される存在です。ちょっとしたボタンの掛け違いで親しい関係が破綻します。予期せず病気が発覚したり、事故や自然災害に遭ったりします。何より、すべての人が老いに向かい、その先には死が控えています。誰もが潜在的に弱さを抱えているのです。
強さの追求は互いをライバルと見なし、人を孤独にします。しかし弱さに向き合い、それを分かち合うことは人を深いところでつなげます。12ステップ・プログラムなどの自助グループの有用性はその例証です。私たち人間のあらゆる弱さの中にこそ、主イエスの姿が浮かび上がってくる─ ─本書『アダム』はそのような証言の一つです。
ナウエンは生涯をかけて、信仰とは「力強く成功すること」ではなく、「弱さを通して愛を学ぶこと」であることを体得していきました。私たちの人生は、ありきたりな人生訓や倫理道徳の言葉に収まるほど単純ではありません。そのような現実の「ままならない」痛みと葛藤の中でこそ主イエスに出会う─ ─ナウエンの著作がその助けとなれば幸いです。














