生活に根差した勝利説の信仰を読むことができる説教集
〈評者〉久保木聡
こんなにわかりやすく、かつ時代背景を適切に述べ、神の愛を染み渡るように伝える説教が可能なのか! それが本説教集を読んでの率直な感想です。本書は、著者の仕えるキリストの平和教会における、ルカの福音書からの連続説教を書籍化したものの第三弾です。
著者はオーストラリア国立大学博士課程を修了した言語学博士であり、神田外語大学大学院の教授でもある方です。その知見から説教の中では語用論に基づく聖書解釈がしばしば出てきます。著者の言葉で言うなら「言葉の字義的な意味と、文脈の中で意味していることの上でズレを研究するのが語用論です。」(74頁)とのこと。「イエス様は語用論の達人です。皮肉も飛ばされます。ですから、文字通りの意味ではなく、そこに隠された意味や、その言葉によって行われている行為を読み解いていかなければなりません。」(176頁)とも述べています。辞書が教えるその単語の意味は重要ですが、文脈によって意味が変わっていくのを踏まえることは、わたしたちの日常会話でも、また聖書を読む上でも必要なことは言うまでもありません。著者が丁寧に文脈を追うことで、言葉の裏に隠されたものを明らかにし、人物像を立体的に描きながら、聖書を読み解いていくことで次々に目が開かれ、嬉しい驚きに包まれました。
以前、贖いの理解について、著者とSNSでやりとりしたことがあり、刑罰代償説 (キリストは罪人の身代わりとなって十字架にかかって死に贖いを成し遂げたという説)に基づいた説教はしたことがないという主旨の回答を拝見したことがあります。確かに本書の説教には刑罰代償説に基づいた説教はありません。教父たちの贖い理解と言われる勝利説に近い贖い理解と思われる「死と悪魔に勝利する王としてのキリスト」を述べる説教が繰り返し語られます。個人的には、ここまで勝利説で守備一貫した説教集を自覚的に読むのは初めてのことでした。神学的な知的理解で完結せず、生活に根差した勝利説の信仰を読むことができるのも本書の特徴と言えるでしょう。読者によってこの件は賛否もあるでしょうが、読まずに批判しないでほしいと願います。まずこの説教集を読み、味わってほしいのです。
以下の言葉に著者の正直さと配慮を感じました。「私たちクリスチャンも「これが聖書の基準と考えること」をできるだけ多くの人に知ってもらって、マジョリティを形成しようとします。それは、自然なことですし、当然です。それがなければ、教会を形成することはできません。しかし、それによってイエス様が癒し、赦し、祝福していらっしゃる人を排除してしまうということが起こり得るということも心に覚えたいと思います。」(33頁)教会形成においてマジョリティがマイノリティを排除し得る危険を自覚し、正直に伝えているのです。そこに、排除する者が起こらないようにしようとする配慮があります。それは著者のまなざしでもありますが、イエス様のまなざしと配慮に倣おうとする著者のひたむきな信仰姿勢とも言えます。本書全体にあるのは、そのような神の大きな愛と排除される者が起こらないようにと切に願う細やかな配慮とまなざしです。
本書の表紙は和紙ちぎり絵作家である森住ゆき氏の作品です。本書に収録される説教を入念に読んで作った作品が表紙となりました。銀杏の幹から新芽がいくつも芽生えています。本書を読むわたしばかりでなく、森住氏にとっても、本書を通して自分の中から新芽がいくつも芽生えるかのようないきいきとした感動があったのではないでしょうか。
本書の説教を多くの人に触れてほしいと願います。一人で読むのもいいでしょうし、「福音書を読んでみたけど、よくわからない」というノン・クリスチャンにプレゼントしてみてもいいでしょう。無牧教会や牧師が休暇を取得した際の礼拝説教で、本書が朗読されるのも良いでしょう。読書会を開いて一篇一篇の説教を順に味読し、感想を分かち合ってほしいとも思います。そうして、本書を読んで、自分から芽生える新芽に出会い、互いにその恵みを分かち合ってほしい。そう願っています。
















