日本国憲法への深い洞察と平和への熱い思い
〈評者〉樋口 進
二つの世界大戦により甚大な犠牲者を出し、その後東西冷戦の危機を経て、ソ連の解体、冷戦の終結を迎え、平和への期待を持って迎えた二一世紀である。しかし予想に反して地域紛争が頻発し、四半世紀を経て、ウクライナ、パレスチナなどでの戦争において多くの犠牲者が出、さらに核兵器使用が現実味を帯びている二一世紀の現在にあって、本書は子ども時代に戦争を体験した九〇歳を超える著者が、平和への熱い思いを持ってすべての人に贈るメッセージである。冒頭で著者は、本書執筆の動機について「自分の九十余年の来し方を振り返りそれらのこと(評者注=平和の問題)を考えつつ、二一世紀に生きる子や孫の世代の人々に率直に語りかけたい思いで、この小論を少しずつ書き綴ってきました」と述べている(一一頁)。
著者深谷松男氏は、民法の碩学であり、金沢大学名誉教授、元宮城学院長である。専門の分野で貴重な研究書を多く著しているほか、日本基督教団常議員、キリスト教学校教育同盟理事、日本聖書協会理事等を歴任し、日本のキリスト教界に重要な働きをされてきたキリスト者である。この立場から著した前著『福音主義教会法と長老制度』(一麦出版社、二〇二四年)も高く評価されている。
さて本書は一四のテーマから構成されている。すなわち、「平和を祈り求めて」「憲法前文に学ぶ──戦争抑止と国民主権」「憲法前文の平和主義」「平和のうちに生存する権利について」「第九条の戦争放棄について」「改めて日本国憲法制定の意義を考える」「核の時代と平和論」「平和への堅固な姿勢」「憲法第九七条と基本的人権の基本権性」「私たちに信託された基本的人権」「平和の基礎としての人権とキリスト教信仰との関係」「平和の福音と平和への意志」「よきサマリア人の譬えから学ぶ」「結びとして──神の赦しと人間の尊厳」である。
これらからも分かるように、著者は日本国憲法を正しく理解することの大切さを強調し、特に前文、第九条、第九七条を専門家の立場から深く掘り下げ、解説している。まず著者は、前文の重要性を強調し、ここに国民主権、基本的人権、平和主義の基本原理が主張されているとして詳細に解説する。第九条については成立の過程を綿密に検証し、自衛のための戦争も国の進路を誤らせる危険性があることを指摘し、外交的知恵と努力を尽くすべきだと主張する(六五─六六頁)。さらに、アメリカから押しつけられたという「押しつけ憲法論」の誤りを論証し、自民党の改憲案を批判する(一一五頁)。また、基本的人権を侵すことのできない永久の権利と定めた第九七条を削除しようとする改憲案には、幾多の試練を経て基本的人権が確立されてきたことを無視するものとして批判する(一五六頁)。
本書には聖書の言葉も数多く引用されているが、著者がキリスト教信仰に基づいて最も主張していることは、平和の基は、神の似姿として創られた人間を個人として尊重する基本的人権であるということである(一七六頁)。
平和がかつてないほどに脅かされている時にあって、多くの人が本書によって平和への思いを深められることを切に願う。