ナチズムと闘い、平和のために生きた牧師ニーメラー
〈評者〉武田武長
ナチズムと闘った牧師
神の人マルティン・ニーメラーの物語
クラリッサ・スタート・デヴィッドソン著
久野 牧訳
A5判・316頁・定価3740円・一麦出版社
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久々にマルティン・ニーメラーについての本が出た。没後四十年である。
本書は、生前のニーメラーと面識のあったアメリカ人女性ジャーナリストのクラリッサ・スタート・デヴィッドソンが、一九五九年までのニーメラーの生涯を書いて同年に出版したものの翻訳である。
原著のタイトルは『神の人──ニーメラー牧師の物語』である。本訳書を評者は深い感銘をもって読んだ。本書は教会史の学術書を読むのとは違い、訳者あとがきに記されているように、「あまり専門的すぎて難解なものではなく、ニーメラーの人物像が生き生きと描き出されて」おり、著者デヴィッドソンは優れたストーリー・テラーだと言ってよいだろう。
本書は三〇〇ページもある重厚なものであるが、女性ジャーナリストの公正な判断力と鋭い洞察力をもった調査報道を、リアルタイムで読むようなスリリングな思いを随所で懐かしめられる。思わず終章までこのニーメラーのまさに「疾風怒濤の半生の伝記」を読み終えてしまった。
全体は29章から成る。その生涯を特徴づけるキーワードを挙げてニーメラーの生涯の赤い糸をたどってみよう。
・第一次世界大戦時にはドイツ海軍のUボート(潜水艦)司令官(第2章)、〈Uボートから説教壇へ〉(第3章、因みにこの表題はニーメラー牧師の処女作[一九三四年]のタイトルでもある)、一九三一年、ベルリンのダーレムの教会の牧師(第4章)
・一九三三年= 運命の年アドルフ・ヒトラーとそのナチ独裁政権との対決、牧師緊急同盟の結成(第7、8章)、「バルメン神学宣言」(一九三四年)= 告白教会に拠るドイツ教会闘争の開始(第9、10章)
・ニーメラー牧師の逮捕(一九三七年、〈説教壇から刑務所へ〉)(第11章)、ヒトラーの「個人的な囚人」としてザクセンハウゼン強制収容所に投獄される(第12 章)、ミュンヘン郊外のダッハウ強制収容所に移され(第14章)、一九四五年に連合国アメリカ軍によって解放されるまで、合計八年間の獄中生活を送る(第17章)
・第二次世界大戦後、獄中から生還したニーメラーは、まず第一に、「シュトゥットガルト罪責宣言」(一九四五年)によって、ドイツの教会の罪責とドイツ国民の罪責の告白を世界に向けて公にする(第20、22章)。第二に、戦後出発した新しい国家(西ドイツ)のアデナウアー政権の再軍備に反対し、平和と非核武装のための闘いへ邁進する(第25、27章)。
このような劇的な生涯の中でのニーメラーの家庭人としての姿を描いた第28章などはまことに美しいエッセーである。
また第15章が記しているダッハウ強制収容所内のエキュメニカルな交わり、あるクリスマスにおけるさまざまな教派の囚人たち= 改革派教会のオランダ人、英国国教会のイギリス人、ルター派のノルウェー人、ギリシャ正教会のユーゴスラビア人、特定の教派には属していないマケドニア人と共に主の晩餐に与る情景は感動的である。
「エキュメニカルな神の人」と著者が言うのもゆえなしとしない。著者は戦後冷戦時代に直面したニーメラーを「東と西の架け橋」となって奔走する実践的な平和主義者として描いている。そして今日の私たちのためにニーメラーのことばを伝えてくれている──「もし戦争を防ぎたければ、平和のために働かなければならない」。「今日の世界における教会の務めは、平和を実現することである」。「平和主義こそが人類にその〈最後のチャンス〉をもたらすものである」。「世界の希望は、歴史の初めも、中世の時代も、ナチスの時代も、そして今日も、いつも変わることはない。それは神の愛と、御子イエス・キリストの信仰と希望と理想への服従である」。
訳もこなれていて読みやすい。マルティン・ニーメラーの存在と行動の今日的意味を考えると、本書の出版を可能にした訳者と一麦出版社の慧眼に感謝しつつ、わが国の多くの人々に読んでほしいと願うものである。
武田武長
たけだ・たけひさ= 元日本キリスト教会神学校ドイツ語講師