若き日のニーバーの最高傑作
〈評者〉柳田洋夫
この小見出しは訳者の評語からそのまま拝借したものである。若き日ということは未成熟を意味するものではない。本書は現代の諸問題にも対峙しうる射程を有する、早くも一つの高みに達した傑作であることは間違いない。同時に、「平静を求める祈り」(皮肉なことに、某県知事問題に関連しても取り上げられた)によっても広く知られているニーバーの思想全体を貫く「永遠の相のもとに」という視座が、この著作においても陰に陽に示されている。
本書は、イギリスの歴史家E・H・カーが、特に恩恵を受けた著作の一つとして挙げたことでも知られている。邦訳も武田清子・高木誠訳、大木英夫訳があり、この度の千葉眞氏による新訳の出版と相俟って、日本におけるニーバーならびに本書への関心の高さを物語っている。
ニーバーの議論は、「個人の道徳的社会的行動と、社会集団の道徳的社会的行動との間には明白な区別の線が引かれなければならない」という命題にもとづくものである。個人は道徳的行動が可能であっても、集団の行動は利己的になる傾向がある。そうであるとき、社会の不正義を道徳的理性的説得のみで解決することはできず、「権力は権力によって挑戦されなければならない」。それではどうするか。ニーバーが示すのは、「実際の歴史においては、実現が不可能なものであり、ただそれに接近することだけが可能である」ことをわきまえつつ、「十分な正義が実現され、強制力が十分に非暴力的に行使され、集合的人間の営みが完全な惨事に終わることを何とか防止する」ということである。彼のいわゆる「キリスト教的現実主義」の面目躍如たるところであろう。
千葉氏による訳文は、親切な小見出しと、かゆいところに手が届く適切な割注が付されていることもあり、たいへんよくわかるものとなっている。ただし、ガンディーの「魂(もしくは真理)の力」をも相対化するニーバーの強靭にして精緻な思考を追うには、それなりの忍耐を要する。千葉氏とともにニーバー研究の第一人者であった髙橋義文氏が、「こねこねした」文体と形容されていたことが思い起こされる。その粘り強い、また、かなりの部分時局に密着した議論のぬかるみに足を取られないように、常にその大枠を念頭に置いて読み進める必要がある。しかしまた、安直な図式的理解を決して許さない、入り組んだ弁証法的思考に満ちているのも〈ニーバー話法〉の厄介なところではある。
いずれにせよ、訳者による詳細な解説が大いに助けになる。また、「集団内部のアナーキーを防止する権力は、集団間の関係においてはアナーキーを助長する」「神秘家が、まさに自我を除去しようとする努力の熱心さそのものによって自我に取り憑かれてしまう」「社会というのは人間の偉大な成就であると同時に、大きな挫折であり続ける」等々の箴言を味わう愉しみも大きい。
ますます混迷を深めつつある現代世界において、キング牧師やオバマ元大統領にも大きな影響を与えたその思想は再び脚光を浴び、「ニーバー・リバイバル」と呼ばれている。「預言者的であることと祭司的であることとの、生きた美しい調和」(大木英夫)の最高度の体現者と言いうるニーバーが、わが国においても、この度の新訳を機に、さらに広く読まれ親しまれることを切に望むものである。
柳田洋夫
やなぎだ・ひろお=聖学院大学教授