福祉事業の発展をユダヤ教の視点から捉えなおす
〈評者〉金澤周作
有史以来(あるいはそれ以前から)現在に至るまで、あらゆる文化圏には、どのような概念や用語で表現されようとも、いわゆる「慈善」に相当する思想や実践(他者のための、物質的対価なき援助)が遍在している。しかし、カタカナで表記される「チャリティ」はキリスト教と不可分に結びつくし、日本における仏教などに由来する「慈善」的行為は相対的に目立たないので、多くの本誌読者にとって、慈善といえばキリスト教のようにイメージしてしまうのではないか。また、篤志者の(不安定な)浄財と気持ちに基づく慈善の時代は過去のもので、今や国民の(安定した)税と計画に基づく国家福祉が常態化しているのだから、慈善について何か前近代的な印象を持つ人も少なくないだろう。こうした二重の臆見をただし、より深い世界の実像に迫る研究をしてきたのが、著者田中利光氏である。
田中氏の前著『ユダヤ慈善研究』(教文館、二〇一四年)は、慈善のキリスト教イメージを相対化する業績であった。キリスト教がそこから分かれ出たユダヤ世界における慈善の思想と実践を、長い歴史的変遷を踏まえてそれ自体として究明したことで、神の正義を表す行為としてのユダヤ慈善(ツェダカー)は、神の愛を表す行為としてのキリスト教慈善(チャリティ)と対置され、両者の系譜や関係や差異について、鮮やかな像を提供した。続編としての本書は、四つの章と充実した資料編によって、慈善の「近代化」を検討対象に据え、先の臆見の二つ目に挑んでいる。
主たるフィールドは、一九世紀後半から二〇世紀初頭のアメリカ合衆国である。この時期、アメリカは、ヨーロッパ、とくに東方で迫害されたユダヤ人が大挙して逃れてきた地であり、無数のユダヤ人コミュニティを育んだ。各地に同胞ユダヤ人の窮状を救うための慈善団体が叢生した。ヘブライ共済会やブネイ・ブリットの沿革と初期の活動を概観した上で、著者は一九世紀末におけるユダヤ慈善の組織化(アンブレラ組織による各地の既存団体のゆるやかな統合)と、その流れの中で先駆的に設立された全米ユダヤ女性評議会(一八九三年〜)に注意を促す。そして、同評議会の創設者ハンナ・ソロモンと、その支持者で後に委任統治期のパレスチナで難民青少年ユダヤ人(ユース・アリヤー)に対する福祉活動を展開したシオニスト、ヘンリエッタ・ゾールドという、共に改革派ユダヤ教徒家系の傑出した女性の生涯を、彼女たちの活動を可能にしたユダヤ人ネットワークのなかで辿る。また、二〇世紀初頭にソーシャルワーカー養成のための教育機関ができていく潮流の中に、ニューヨークのユダヤ公共事業学校を位置付ける。
慈善団体の組織化と、女性のリーダーとしての活躍、そして科学的ソーシャルワークの生成は、いずれも慈善の「近代化」の重要なメルクマールであり、それらを指摘したことで本書の目的は達成されている。禁欲的な文章ゆえ、当時のユダヤ人のおかれた社会的、経済的、政治的な状況や、キリスト教のそれを含むチャリティ界の動向、女性の社会進出や、宗教やNGOのトランスナショナルな展開など、各種の具体的な背景の説明がもっとあれば、と思わないではないが、いずれにせよ、現在に息づく「慈善」を複眼的にとらえる視座の一つを提供する、貴重な本である。
金澤周作
かなざわ・しゅうさく=京都大学大学院教授