日本における「聖化の再発見」のための必読書
〈評者〉林 牧人
北米由来のホーリネス運動は、日本においては中田重治という特別な器を得て、独自の進展を遂げ、今なお日本の教界全体に大きな影響を与えている。また、バックストンに連なる流れやナザレン教会といった拡がりを以て「きよめ派」と総称されることもままある。一方でいわゆる「主流派」に属するメソジスト教会は、日本においては日本基督教団の主たる構成要素の一つとしてあり、独自の教派教会としては存在しない。それゆえに、日本の文脈において「聖化」が論じられる際には、「主流派」と「きよめ派」との間の行き来が乏しいままとなり、互いの教理的立場について、旧態依然とした「思い込み」による誤認とズレが生じたままの現状がある。
およそ30年ほど前、この問題を自覚しつつ「日本ウェスレー・メソジスト学会」が設立されたが、これは、「主流派」と「きよめ派」を縦断する「聖化」にまつわる議論と探求を行うことの出来る場として、現在もなお唯一無二の存在である。本書に登場する人々の中にも、ここに関わる者たちが多くいるのは、決して偶然ではないだろう。無論、編著者である大頭眞一氏もまた、学会の会員である。
大頭氏率いる「焚き火塾」のメンバーによって翻訳され、2022年に出版された『聖化の再発見』(英国ナザレン神学校著、いのちのことば社)は、「きよめ派」の諸教会に「おおむね好意的に迎えられた」と評されている。その特徴は「①体験中心ではなく、神と人との関係中心に、②個人主義的ではなく、共同体としての教会の聖化、③内面だけではなく、世界の破れをつくろうために、④プルーフテキストとしてではなく、神の大きな物語としての聖書」とまとめられている。「関係論的聖化」と定義づけられ「聖化とは三位の神のダンスに招き入れられること」という主張は「きよめ派」内外にある「思い込み」に対して大きな一石を投じるものであったことは確かである。
今回の『聖化の再発見――ジパング篇』は、これらの課題認識を確認しつつ、どうしたら、長年の「思い込み」から解き放たれて、より広く深い聖化の出来事へと招かれ、生きることが出来るようになるのか、日本の文脈において考察した論集である。ボリュームに比して、「聖会」での説教あり、大頭氏ときよめ各派の指導者たちの対話あり、小論や書評ありと盛りだくさんな印象ではあるが、日本における「関係論的聖化」の定着による「聖化の再発見」を導くために必要なものとして、それぞれの論述が、かけがえのない光を放っている。
それら全てを貫いて、英国教会をとおして流れ込む東方教会的な影響を踏まえたジョン・ウェスレーの聖化理解に遡りつつ、それが、北米で個人主義的、体験主義的に変化して、日本にもたらされたことを自覚し、ウェスレーの聖化理解の豊かさを「再発見」し、「関係論的聖化」の具体化へと至る道筋を見出すことが出来るように導かれる。
『聖化の再発見』本論に触れていなくとも、まずは本書を読むことによって、課題認識を得た上で、本論へと導かれることは必定である。「思い込み」から解き放たれるために、「主流派」、「きよめ派」のみならず、あらゆる人々に手にしていただきたい書物である。
林牧人
はやし・まきと=日本基督教団西新井教会牧師、日本基督教団出版局『信徒の友』編集長