イエスの肉声を感じる共感を味わう
〈評者〉橘 秀紀
待望の書の刊行です。ぜひ手に取ってイエスの言葉や行動が、彼の生きた時代と場所と人々にどう受け止められたかに思いを馳せていただければと思います。本書は著者の担当した二つの公開講座が土台となっています。その一つ「日本クリスチャンアカデミーと早稲田奉仕園共催の連続講座」の一参加者である私の思いをお話することで、講座で分かち合われていること〜特に著者の言う「学び合い」の豊かさ〜を少しでも感じていただけたら幸いです。
私には、人として生きたイエスの実像に少しでも近づきたいという願いがあります。活動期間はほんのわずかと言われている彼の言葉と行動が、しかも見せしめで殺された者の言動がどうしてその後も語り継がれ、二千年後の日本に生きる私まで知る所となったのか。信仰的に言えば聖書の神の計画だからということになるけれど、生身のイエスに出会った当時の人たちが受けたであろうインパクトを私も感じてみたいのです。そして牧師という働きを与えられてからは、今・ここにも響いているはずだと信じるイエスの声と寄り添いを何とか伝え分かち合いたいと自分なりに奮闘してきたつもりですが、困難さを覚えてもいました。
そんな時に共に働くことになった同僚から、山口里子さんの講座に参加したいとの相談を受け、では一緒に行きましょうということになりました。それが先に申し上げた本書の土台となっている講座でした。当時はオンライン配信ではなく対面のみで、水戸から東京まで片道二時間以上かけて通いました。大変でしたけれど、月に一度の学び合いは実に刺激的でした。そもそも学ぶ場の少ない地方在住者として、気づかぬ内に学ぶことに飢えていたのかも知れません。何より聖書を読み受け止め考える前提として日本語文献に限らない諸研究や聖書学の情報、特に考古学や言語学、政治・経済・文化・社会学など様々な分野の研究成果を含む「学際的な聖書学」や「解放の神学」の情報を共有しながら、イエスの生きた時代と場所と、そこで生活していた人々の姿を描き出そうと努めることに私はとてもワクワクしました。足りなかったパズルのピースが一つずつ埋まっていくようにして、生身のイエスに近づくように思えたからです。また講座には教派の別なくクリスチャンに限らず様々な方が参加しており、そんな一人ひとりの歩んできた道や取り組んでいることを背景とした質問・意見や思いに聴き合う時間が大切にされています。本書でも脚注で参加者の声が紹介されていますが、それらの声と二千年前のガリラヤが時に重なり合うことによって、より一層イエスを身近に感じられたことも度々ありました。
とは言え全てのピースを埋められるとは、もちろん思っていません。それでも一つの解釈を絶対化せず聴き合うという著者の「学び合い」のスタンスが、たとえば聖書に名前さえ記録されなかった人にも確かに届いたはずのイエスの肉声を、かえってリアルに感じさせてくれると私は思うのです。同時に、今の時代と場所に生きる私たち一人ひとりにも届いているはずのイエスの声にも気づかせてくれる、と感じているのです。さあ本書を通してこの学び合いの場に、あなたも参加してみませんか。そしてあなたの所にも、豊かな学び合いの場が生まれることを願っています。
橘秀紀
たちばな・ひでとし=日本基督教団水戸教会牧師