現代を予見しているブーバーの読み解き!
〈評者〉北 博
本書はマルティン・ブーバー著作集第2巻所収の5編の詩編の講解から成る、原本では40頁ほどの小論文の翻訳である。本文の後に、訳者による注と解説、そして簡単な後書きが付されている。それに続いて、分量ではこれに匹敵する「現代の精神状況における神の蝕」と題する訳者による「付録論考」が添えられており、実質的に二部構造になっている。
扱われる詩編は、順に5編、12編、14編、82編、73編、1編である。ブーバーが「序」において述べているように、この配列には意味があり、詩編の作者はそれぞれ異なるにもかかわらず、「これらの詩は相互に、個々人の道の諸段階のように補充し合う」ことになる。訳者が最初に断っている通り、これは内容からすれば詩編講解と言うよりはむしろ「黙想」であり、今回の邦訳の出版に当たってこのような表題にしたことは適切な判断であろう。白状すると評者がこの論文を読むのは今回が初めてであるが、この時期にこれに出会ったことは評者にとっては神の恵みと言う他なかった。それは、ロシアのウクライナ侵攻以来、核戦争と第三次世界大戦の恐怖が現実味を帯びたものとなり、毎朝目が覚めるとまずニュースでどちらもまだ起きていないことを確かめる癖がついてしまった評者にとって、どんなに困難であっても何が正しく何が正しくないのかを見分け、善を選び悪を斥けようとすることの大切さを改めて痛感したからである。戦争や権力の正当化のために宗教が使われる今日、まるでこの論文は、現代を予見しているかのようである。もう一つ、評者にとってありがたかったのは、最近詩編の注解書が続々出版され、新しく魅力的な詩編解釈方法が次々に現れたが、反面それはどうしても解釈技術に関心が集中しがちであり、加えて評者には詩編の多くが、祈りであると言っても自己中心的な、時には暴力的でさえある願望の表明にしか見えないことがあったが、ブーバーは詩編を極限状況での人間と神との対話の流れとして読み解いていることである。最近詩編を敬遠しがちであった評者にとっては、なるほど詩編とはこのように読むものかと目から鱗であった。
ブーバーの文章は、必ずしも読み易くはない。そこで訳者は、本文中に括弧で補訳ないし訳注を入れるという工夫をしている。このやり方だと、確かに読み易い。もっとも、読者は時々凡例で括弧の種類を確認した方がいいだろう。巻末の注も、訳注と明記した方がよかった。原文ではブーバーによる注は一つだけであり、それは訳注の中で言及されている。なお、裏技の類ではあるが、それでもやはりブーバーは読みづらいと言う向きには、先に訳者解説を読むという奥の手もあるかも知れない。逆に訳者は、訳しにくい語には訳語にドイツ語を併記する方法を取っているが、これはブーバーに慣れ親しんだ読者にはありがたい。ブーバーはある種の語(例えばGegenwartとその派生語)を通常とは違う特別な意味で用いることがよくあるからである。
後半の「付録論考」は、ブーバーの哲学著作である「神の蝕」を推進力に、彼の思想の全体像を読み解いていこうとする意欲的な論文であり、感じるものが多々あった。版を改める際には、巻末に略号の出典を付けるひと手間をお願いできればありがたいです。
北博
きた・ひろし=元東北学院大学教授