NPPの全貌を高解像で捉え、福音理解を刷新する
〈評者〉関野祐二
N・T・ライトの名とともに、「パウロへの新しい視点(ニュー・パースペクティブ)」(New Perspective on Paul,以下NPPと略)との呼称を耳にするようになったのは、日本語を使う大多数のキリスト者にとって二〇一〇年台に入ってからであろう。その潮流が、E・P・サンダース『パウロとパレスチナのユダヤ教』(一九七七年、邦訳刊行予定)に端を発するのは周知の事実だが、邦訳書はNPPの提唱者J・D・G・ダンの『新約学の新しい視点』(すぐ書房、一九八六年)、前述サンダースの『パウロ』(教文館、一九九四年)など、いずれも簡潔な解説書で、十分な理解の進まないまま、いわゆる「N・T・ライトブーム」に突入し、コーネリス・P・ベネマ『「パウロ研究の新しい視点」再考』(いのちのことば社、二〇一八年)など、賛否両論が喧しく発せられて来た感がある。九百頁超のダン『使徒パウロの神学』(教文館、二〇一九年)はNPPの決定版とも称されるが、これに取り組む前段階として、NPPに立つ学者たちの研究全体を網羅し、その進展と核心を解き明かす、日本人学者の著作を切望したのは評者だけではなかろう。N・T・ライトのもとで博士論文を執筆し、ライトの主著『新約聖書と神の民 上下』(新教出版社、二〇一五年、一八年)を邦訳した山口希生氏を置いて、この任に相応しい器はいない。
本書は、従来のパウロ理解に対するNPPの問題提起のポイントが第二神殿時代のユダヤ教理解にある、との序論から始まる。続く本論はNPPの潮流を構成する学者たちの主張の解説で、「NPPの先駆者たち」(F・C・バウル/アルベルト・シュヴァイツァー/W・D・デイヴィス/エルンスト・ケーゼマン)「NPPを代表する研究者たち」(E・P・サンダース/J・D・G・ダン/リチャード・ヘイズ/N・T・ライト)「ポストNPPの旗手たち」(ダグラス・キャンベル/ジョン・バークレー)の三部から成る。最終章では、NPPと東方正教会の救済理解の親和性、信仰義認と行いの関係性に続き、本書のタイトルとも関連する「ユダヤ人も異邦人もない教会」とのパウロの普遍主義ビジョンと近年のグローバリズムが比較される。
山口希生氏は「信徒の方にも読んでいただけるよう平易に書きました」と語っていた。論旨明快かつ極めてよく整理された構成はその通りなのだが、では「平易な入門書」かと言えばそれは違う。稚拙なたとえで恐縮だが、超広角レンズで撮影された高解像三次元衛星写真といったところか。NPPの潮流全体をくまなく見渡せるとともに、拡大すればいくらでも細かな部分が、対象の厚みや深さまで見えてくるのだ。西方の伝統的神学と宗教改革の遺産をどこか究極不変と無意識に考えて来た諸氏には、福音理解と救済論が根底から問われるゆえ、胸が高鳴ってなかなか読み進められないに違いない。ネタバレにならぬよう詳細は割愛するが、この「ドキドキ感」をぜひご自身で味わっていただきたいと思う。
巻末に聖書個所索引と文献表があるのはありがたい。加えて著者による、NPPの成果に基づいた「新しい福音」が最終ページに掲載されていたら、と願うのは欲張りだろうか。
関野祐二
せきの・ゆうじ=聖契神学校校長