世界に類を見ない、テクストへの逐語的肉迫
〈評者〉松丸和弘
良著の出現である。エマニュエル・レヴィナスは、二〇世紀最大の哲学者の一人であり、現代に刻まれた深い戦禍の経験から他者との関係性を問い続けた。彼の思想は、神の概念、倫理を巡って、無限や身代わり、他者への不可逆的な責務を説く。また、聖書やタルムードといったユダヤ教の伝統にも深く根ざし、こうした背景を理解することも彼の思想を読む上で重要である。
内田樹氏は、長く神戸女学院大学の教授を務めたが、多年、レヴィナスの思想に取り組んできた哲学者である。彼はレヴィナスの主要な著作の翻訳者であり、解説や論考も多数執筆している。本書は、内田氏が「レヴィナス三部作」と呼ぶ一連の著作の最終巻を成す。前二巻は『レヴィナスと愛の現象学』(二〇〇一年)、『他者と死者─ラカンによるレヴィナス』(二〇〇四年)であり、それぞれレヴィナスの愛や死に関する思想を扱っている。本書では、レヴィナスの「時間」に関する思想が取り上げられる。
本書の対象となるのは、レヴィナスが一九四六年から一九四七年にかけてフランス、パリの哲学学院で行った四回の連続講義『時間と他者』である。これはレヴィナスが戦後初めて書いた哲学的著作であり、彼の思想の出発点とも言えるものだ。だが、このテクストは極めて難解であり、多くの読者が挫折してきた。内田氏は、この講義をほぼ逐語的といってよいほど徹底的に精読、註解、解釈する。その過程で内田氏は、ハイデガー存在論の基本的な結構を覆す「時間と他者」という問題に、レヴィナスがいかに取り組んだかを明らかにしていく。
たしかに論述の構成には批判もあろう。近年、日本でも刊行が始まった『レヴィナス著作集』に収められた同年代の他の講義への言及はみられず、彼の思想を「ショアー」(ユダヤ人の大量殺戮・ホロコースト)と結び付ける仕方は短絡的かもしれない。また一九四六/七年のこの講義を、一九八〇年代に行われた晩年の熟成された思想を示すインタヴューから説明するのも時間的・論理的飛躍があると言わざるをえない。さらにヘブライ語聖書の読者は、いわゆる「俗語源解釈」によって「人」(アダム)が「土」(アッダーマー)から創造され、「イサク」が「笑い」(彼は笑う、イツハァーク)から名付けられたことも知っていよう。ならば「存在」(イェーシュ)と「眠り」(イャーシェーン)との間の何らかの関係にも思い至るべきだったかもしれない。
とはいえ、このようなレヴィナス思想に対する「逐語註解」とも呼べる試みは世界でも初であり、欧米諸国にも類書は存在しない。内田氏の「師」への深い敬愛の念を存分に伝えるものであると同時に、日本の研究水準の高さをも示すものだ。本書は、難解なレヴィナスの思想を読解するまさに苦闘の現場に立ち会わさせてくれる書であり、彼の思想に興味を持つ読者にとっては貴重な入門書となるだろう。それにしても、わずか四回の講義にこれほどの註解を捧げねばならぬレヴィナスとはどれほど難解な思想家なのだろう? 三部作と言わず、続巻を送り出して欲しいところだが、まずは、このような名著を世に送り出した著者の力量と前代未聞の企画を実現した出版社を言祝ぎたい。
松丸和弘
まつまる・かずひろ=哲学者