私は田舎地域に生まれ育ったので、近くに書店が無かった。また書店に行ってまで買いたいと思う本もなかった。だから逆に、高校二年の夏の学校帰りに、自らの意志で書店に寄って購入した本の記憶が鮮明に残っている。その本とは新約聖書である。私は、ラジオのキリスト教番組でキリスト教に出会い、隣人愛という高尚な徳に感動し、その源が新約聖書という本に書かれていると知ったので、買って読みたくなったのである。
書店の宗教コーナーに旧新約全巻が入った分厚い聖書が目についたが、私にはイエスの愛の言葉が書かれている新約聖書だけでよかった。薄くて定価が百円の、日本聖書協会刊行の口語訳新約聖書が見つかった。カバーの挿絵の一部分が赤色で目立ち、本の中身である天、地、小口部分が金色に装飾されていた。「なんと、宗教臭い本!これを読んだら洗脳されてしまうのだろうか?」と一瞬ためらったが、「聖書(聖なる書)という言い方をしている本だから普通の本と違って当然!それを買いたくてここに来たのだ!」と思い、恐る恐る手に取ってページをめくった。
紙が一般の本と違って薄かった。ページ数の多い聖書だから、薄くて丈夫な紙を使うことに、今は違和感はないが、当時の私は、この薄い紙の使用にも宗教臭さを感じた。ラジオ放送で聴き始めていたとはいえ、キリスト教は未知の宗教であり、怖さも感じていた。しかしわざわざ買いに行くという行為を導いた本である。私は人目を気にしつつ、自然な感じを装いながら、新約聖書を買った。これがキリスト教書籍を買った最初である。帰宅後、その文体に戸惑いを覚えながらも、一気に読み通した。隣人愛の言葉に改めて感動し、その後繰り返し読む本となっていった。
(こばやし・まさつぐ=八木重吉の詩を愛好する会事務局)
小林正継
こばやし・まさつぐ=八木重吉の詩を愛好する会事務局