ポストコロナ時代の日本の教会にも有益な提言
〈評者〉岡村直樹
著者が一九八〇年代以降のアメリカ合衆国(米国)のプロテスタント主流派(本書の中では旧主流派と表現される)における教会の若者減少の最大の原因として指摘するのは、急速かつ急進的に変化していく世の中にあって、「キリストの体をつくりあげる」ための教育的ミニストリーと向き合ってこなかった(または適応することができなかった)ことである。もちろんそこに教会や教派のリーダーによる努力や挑戦がなかったというわけではないが、教派教育や教会教育が学校化され、交わりが年齢別に区分化(コンパートメンタライズ)され、さらには教育の内容や目的が個人化する中で、若者の信仰形成に関わる実践神学的視点が重視されてこなかったことがその要因とされている。一九八〇年代以前に起こっていた人口増加とそれに伴う教会の若者の増加も多くの場合、宗教教育的課題としてではなく技術的課題として取り上げられ、上記のような教育的対応が継続する中で、世代を越えて存続する信仰共同体の形成という概念が蔑ろにされてきたことに対する反省が必要であると述べられている。
これらの反省を踏まえた上で、著者によって必要な取り組みとして提案されているのは、世代を越えたメンタリング(指示や命令といった方法ではない、対話による気づきや自発的省察をもたらす、関係性を重視した人材育成の手法)や、「キリストの満ちあふれる豊かさになるまで成長する」(エフェソ四章一三節)ことを目標として信仰的実践を習慣化するといった、信仰の形成をサポートする教育のアプローチである。信仰的実践の習慣化を遂行する上で、著者は教会における「信仰問答的文化」の活性化(再活性化)を提唱している。「信仰問答的文化」とは、いわゆる歴史的な信仰問答を、ただ復唱させ暗記させることではない。それは信仰問答の中で唱われている事柄を、意図的に実践と結びつけることを習慣化させることであり、人をケアし仕えるという教会の使命に若者を結びつけ、聖餐式を含む様々な教会行事の中で神の恵みと憐れみを繰り返し体験し、さらに世代を越えた対話を促すことである。またこれらの教育的実践に必要不可欠なのは、「教育的イマジネーション」であるとも著者は語る。それは急速かつ急進的に変化していく世の中にあって、教育者個人や信仰共同体が、それぞれ置かれたコンテキストにおいて、更なる信仰の高みや深みを目指して対話し、発案・実行することでもある。
子供を含む若年層の減少が近年著しいことは、日本のキリスト教界の存続にも関わる大きな課題であり、その趨勢を打開するための方策の考察や探求が続いている。本書には日本のキリスト教諸教会が、まずはそのような苦しい現状を分析し、その上でそれを突破するためのヒントが多く隠されている。原著の出版は二〇一二年であり、取り扱われているのは米国のプロテスタント旧主流派における事象である。そのような時間と空間の差異があるにも拘らず、著者によって試みられている様々な課題の明確化や、そこに付随する真摯な反省、さらには提示されている方向性や、取り入れるべき方法論の提言は、ポストコロナ時代を生きる今日の日本のキリスト教界にとって、教団・教派(主流派や福音派)の壁を越えて有用である。
岡村直樹
おかむら・なおき= 東京基督教大学大学院神学研究科教授