ことばが躍動する説教集
〈評者〉朝岡 勝
「焚き火を囲んで聞く神の物語・説教篇」と題するモーセ五書説教シリーズもいよいよ最後の申命記。上中下の三部作になる予定とのことで、まずは上巻が上梓されました。
大頭牧師の説教を読んでの第一印象は「ことばが躍動している!」です。この躍動感を生み出しているものは何だろうかと頁をめくりながら幾度となく思い巡らしました。そこで行き着いた自分なりの見立ては、説教者の聖書テキストについての明快な把握と咀嚼、そして律法と福音についての的確な理解にあるということです。これらが背後にあるからこそ説教者は生き生きと自由に語り、語られることばが躍動し、そのことばが教会を生かし、聴き手を生かしているであろうことが紙面から伝わってくるのです。
評者はかねてより日本の教会の抱える根深い課題に「グノーシス」と「律法主義」があると感じてきました。二元論化した生き方の中で信仰の使い分けが生じ、律法主義によって福音に生きる自由と喜びが失われているのでないかと。しかし本書を読んで、これを克服する一筋の光を見た思いがします。そしてその第一歩は原点に返って旧約聖書をよく読むことにあるのではないかと。その点で大頭牧師の律法理解は明快です。「神さまと共に歩く歩き方、これが律法ですね」(10頁)、「私たちを愛してやまない神さまが『わたしと一緒に歩こう、そのためにはこういう風に歩いたら互いの喜びが増し加わるよ』と教えてくださっているものなんです。神さまと共に歩く歩き方、それが律法の教えるところです」(158頁)。そして神と共に歩むためには「神さまのみ言葉にとどまれ、と私は伝えたいのです。……神さまを置き去りにしないで、神さまのおられるところにとどまってください。神さまの愛のあるところにとどまってください。神さまが何かを命じられる時、それは必ず愛から出ています。必ず、必ず、愛から出ているのです」(14頁)。平易な表現でありながら律法の本質を語ることば、そして福音の本質を語ることばがここにはあります。
11編の説教は申命記4章15節から5章20節までの「十誡」の説き明かしで、創造の神、アブラハムの神、イスラエルの神である主の、ご自身の民に対する愛と熱情が全編からほとばしっています。十誡の第一誡の心は神の民が「神さまの胸の中」(54頁)、「神の愛のまなざしの中で」(72頁)生きること。第二誡は「神さまはわかりにくい」(81頁)ことを認めて見えない神の御子を信じること(82頁)。第三誡は「イエス・キリストの父なる神さま、父なる神さまと呼んだらいい」ということ(98頁)。第四誡は「自分の心がどこにあるかを確認する」こと(108頁)、第五、第六、第七誡は「神さまの胸の中で」親子、隣人、夫婦がともに生きること(131、138、166頁)、第八誡は「神さまが、人を盗む生き方から私たちを癒して自由にする」こと(184頁)。そして第九、第十誡は主イエスが語ってくださった「隣人との愛の関係を建て上げる美しい言葉」に生きること(191頁)と結ばれます。ちなみに偶像礼拝禁止が「第二誡」(74頁)、御名の濫用禁止も「第二誡」(91頁)、安息日規定が「第三誡」(106頁)となっていました。十誡の数え方が示されると読者の助けになるかもしれません。いずれにしても、見事な語り口に魅了される素晴らしい説教に感謝し、コンパクトながら本格的で豊富な内容を惜しみなく提供してくださる「ヨベル新書」の企画にも感謝いたします。中、下巻を心待ちにしつつ。
朝岡勝
あさおか・まさる=東京キリスト教学園理事長・学園長、市原平安教会牧師