聖書の多様性と矛盾を編集史的に読み解く
〈評者〉小友 聡
本書は、山我哲雄先生による『海の奇跡─モーセ五書論集』(二〇一二年)に続く第二論文集である。著者、山我哲雄先生については改めて紹介するまでもない。現在、日本旧約学会の会長(通算三期目)であり、これまで手がけた旧約聖書学に関する著書や翻訳書は数え切れないほど。ドイツ語圏の翻訳書の数ならばどの研究者より多い。最近はまたVTJ旧約聖書注解シリーズの列王記下巻の執筆に取り組んでおられる。この旧約聖書学の泰斗、山我先生が二三年間奉職された北星学園大学を退任するにあたって出版されたのが本書である。
本書は『旧約聖書における自然・歴史・王権』という書名の通り、旧約聖書全体を俯瞰し、自然、歴史記述、王権という主題を論じた緻密な論考である。旧約聖書神学論集と言ってもよい。内容を紹介しよう。
第一論文「旧約聖書における自然と人間」は、創造物語やヨブ記を範囲とし、神・人間・自然という対立項において自然と人間の関係を聖書神学的に考察したもの。並木浩一氏の論文への応答を意図している。
第二論文「旧約聖書とユダヤ教における食物規定(カシュルート)」は、複雑で矛盾だらけの食物規定について、緻密な考察で謎解きをした論文である。食物規定とはそういうものだったのか、なるほどと納得させられる。
第三論文「旧約聖書における『平和(シャローム)』の観念」は、シャロームという概念を旧約聖書全体から分析し、その全貌を説明した緻密な論文である。聖戦について、また戦争と平和について問題提起をしている。
第四論文「ナタン預言の成立」は、サムエル記下七章のナタン預言を五段階の形成過程によって解明した論文。
最後の第五論文「申命記史家(たち)の王朝神学」は、ヨシュア記・士師記・サムエル記・列王記という一連の申命記的諸文書において、申命記史家の神学を概説した論文。特にダビデ王朝の永遠性という難問について、最近の論争を踏まえ独自の考察をしている。
以上五つの論文から成る本書は、それぞれのテーマについて旧約聖書の多様性と様々な矛盾を編集史的方法で読み解いている。つまり、テキスト形成の背景に異なった歴史の層を想定し、合理的に、理性的に分析をして説明するのである。緻密でバランスがとれた議論であり、納得がいく。山我先生の議論はドイツ旧約学の最新の知見に従っている。これにより読者は最近の旧約学がどのような方向にあるかを知ることができる。しかしこの論文集の特徴は、著者・山我先生の関心がただ単に学術的ではなく、現代世界の諸問題に向けられている点にある。本書は旧約聖書学に関心を持つ読者のみならず、聖書を深く探究しようとする読者にとっても聖書研究として実に有益な本である。
前書きによると、本書は北星学園大学の若手の同僚、山吉智久先生によって編まれた。長年、同大学で教鞭を執られた山我先生の退職を寿ぐため出版されたのである。余談だが、本書出版の少し前、春期旧約学会で山我先生は、大学研究室から自宅への蔵書やパソコンの運搬のために大変な苦労をした、と笑顔で会長挨拶をされた。本書は山我旧約聖書学の里程標となる。旧約聖書学の最前線の知見を提供してくれる本書の刊行を喜び、皆さんに推薦する。
小友聡
おとも・さとし= 日本旧約学会会長