イエス・キリストに関する書籍は、信徒向けのみならず、一般読者向けや子ども向け、さらには学術的・専門的文献に至るまで様々なものが数多く存在している。実際、イエス・キリストほど、数多くの書物で取り上げられている人物は他に存在しないであろう。比較的最近(二〇一〇年以降)日本で刊行されたものに限っても、イエスの生涯(史的イエス)に関する書籍は、(今回紹介するものを除いて)E・P・サンダース『イエス─その歴史的実像に迫る』(教文館、二〇一一年)、M・ボーグ『イエスとの初めての再会─史的イエスと現代的信仰の核心』(新教出版社、二〇一一年)、J・H・チャールズワース『これだけは知っておきたい史的イエス』(教文館、二〇一二年)、R・ボウカム『イエス入門』(新教出版社、二〇一三年)、J・D・クロッサン『イエスとは誰か─史的イエスに関する疑問に答える』(新教出版社、二〇一三年)、若松英輔『イエス伝』(中央公論新社、二〇一五年)、J・M・ロビンソン『イエスの福音─それは本当は何だったのか』(新教出版社、二〇二〇年)等々、かなりの数に上っている。
それにしてもいったいなぜ、イエスが生きた時代から二〇〇〇年を経た今日においても、イエスに関する本がこのように次々と出版されるのか。その最大の理由は、言うまでもなく、全世界に二十数億人もの信者を有するキリスト教の原点(始祖)である人物に対する高い関心のためであろう。しかしそれに加えて、歴史上の人物としてのイエスについては史料が極めて限られているために不明な点も多いが、その空白部分を各著者が想像力や独自の解釈で補おうとするために様々なイエス伝が生まれてくるとも考えられる。事実、イエスの生涯に関する具体的な記述は聖書外文献にはほとんど認められず、実質的には新約聖書の福音書に記されている成人後の宣教活動に関する記述のみであり、イエスの幼少年期や青年期については具体的なことはほとんど知り得ないというのが実際のところである。
以下の部分では、イエスに関する様々な書籍の中でも、専門的なものは除き、一般の読者にも親しみやすそうな三冊を選んで紹介していくことにする。
J・ロロフ『イエス─時代・生涯・思想』
本書はドイツを代表する新約学者のユルゲン・ロロフの著作であり、一般読者向けの“Wissen”(『知』)叢書の一冊である。この叢書は様々な主題についてコンパクトにまとめたペーパーバックの入門書シリーズであり、本書の原著も僅か一二八頁の「小著」である。本書の特徴は何より、イエスの生涯(史的イエス)について、最新の学問的成果を踏まえつつ、簡潔にわかりやすく、かつ偏りなく穏健な立場からまとめられている点である。しかも著者は、限界を認めつつも、厳密な分析を通してイエスの歴史的実像を可能な限り正確に描き出そうとしており、それだけに信頼できる内容になっている。
本書の構成を概観しておくと、冒頭の導入(第一章)に続いて史的イエスに関する資料問題(第二章)、そしてイエスが生きた時代のユダヤ世界の社会的・宗教的状況(第三~四章)について述べられた後、イエスの生涯及びその活動に関する記述(第五~七章)が続き、最後にナザレのイエスから教会のキリストへと変質していく歴史的経緯(第八章)及び今日のメディア時代における批判的コメント(第九章)が述べられる。このように著者は、厳密な歴史的研究と現代における世界認識の双方に基づいて、「ナザレのイエスという謎めいた人物についてある程度の確信をもって語れることを確認しようとしている」(一六頁)。いわゆる史的イエスの研究の概要と現状について学びたい読者には特に薦めたい一冊である。
D・ゼレ/L・ショットロフ『ナザレの人イエス』
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『ナザレの人イエス』
・D. ゼレ、L. ショットロフ:著
・丹治めぐみ:訳
・日本キリスト教団出版局
・2014年刊
・四六判 210頁
・2,420円
本書はドイツの著名な二人の女性神学者が共同で執筆したもので、ナザレのイエスの生涯と思想について現代の諸問題と関連づけなから記されている。冒頭の「はじめに」で述べられているように、本書は、女性の役割・機能・影響力を重視する「フェミニスト的視点」、社会のなかで「後になる」(マタイ二〇・一六)者とされている人々に関わる「解放の神学の視点」、そして、キリスト教における伝統的な反ユダヤ主義への反省という三つの視点に立っており、イエスの人物像と宣教の特徴を現代人にもわかりやすく、また、あらゆる人々を視野に入れ、開かれた視点で記されている。そして、紀元一世紀のパレスチナの文化的・社会的背景を念頭に置きつつ、誰もが自分が生きている世界で、それぞれの日常生活の中で神を経験できるということを示そうとしている。
本書は総じて、イエスの生涯の歩みに沿う形で、イエスの誕生、受洗、種々の宣教活動、十字架の死、復活という順序で記されているが、随所に初学者向けに専門用語や重要概念に関するコラムが挿入され、また巻末には用語解説が付せられ、専門外の読者にも十分に理解できるように配慮されている。さらに、現代の詩人による詩が頻繁に引用されており、これを通して読者はイエスの宣教のメッセージをより深く体感することができるであろう。また、キリスト教の反ユダヤ主義に対する本書の批判的な観点は、何よりファリサイ派に対する一面的な否定的見解を一貫して退けようとする姿勢に如実に示されている(七二─七六頁参照)。
筆者はかつてスイスに留学中、ベルン大学神学部で数日間にわたって開催されたショットロフ氏による集中講義に参加する機会を得たが、ユダヤ教をキリスト教の母として肯定的に捉えようとする姿勢が今でも強く印象に残っている。なお、本書の訳文は原著の独文からではなく英訳からの重訳であるが、訳文は明快かつ的確で全く遜色がないことも付け加えておきたい。
遠藤周作『イエスの生涯』
本書は日本を代表するカトリック作家である遠藤周作の手になるイエス伝であり、一九七三年の刊行から半世紀近くを経た今日においてもその魅力は全く失われていない。著者は歴史研究や聖書学の知見も踏まえつつ、限られた情報をもとに、一小説家として見事に人間イエスの生涯のストーリーを書き上げているが、言い換えると、この作品には著者独自のイエス像が色濃く反映されており、弱さをもち、誤解と嘲りのなかで生涯を終えた人間イエスの姿が特に強調されている。
例えば本書で著者は、イエス自身はごく普通の容貌であったが、身なりはみすぼらしく、実年齢よりかなり老けて見えたと断定している。また、ペトロをはじめ弟子たちはイエスをローマに対抗する民族指導者と誤解し、彼の宣教の本質を最後まで理解できずにいた。特に受難物語においてイエスは無力な人物として描かれているが、この弱々しいイエスに幻滅した弟子たちは、自分たちの身を守るために衆議会と取り引きしてイエスを否認し、最終的にイエスは一人で罪を負わされ、死に追いやられることになる。イエスを裏切ったユダの人物像も特徴的であり、ユダだけがイエスの本質を理解していたのであり、またユダの苦しみをイエスは知っていたと比較的肯定的に描写されている。そして、神の愛を訴え、同伴者として人々に寄り添おうとしたイエスの生き様とその教えの本質は、本書全体を通して何度も繰り返される「幸いなるかな 心貧しき人」以下のフレーズによって印象的に指し示されている。
本書の末尾で著者は、聖書の記述から事実としてのイエスの生涯は知り得なくても、その真実は認めることができるのであり、その魂の真実は否定することはできないと述べているが、まさに本書には、イエスの真実の姿を追い求めた一作家による「真実のイエス像」が描かれている。
嶺重淑
みねしげ・きよし=関西学院大学教授