M・ディベリウス著 牧会書簡注解 第一・第二テモテ書、テトス書(青野太潮)

「巨匠」の声を邦訳で読める喜びを可能にしてくれた本
〈評者〉青野太潮

牧会書簡注解 第一・第二テモテ書、テトス書
M・ディベリウス著
H・コンツェルマン改訂増補
山口雅弘訳
A5判・392頁・定価5500円・教文館
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 著者マルティン・ディベリウス(Martin Dibelius, 1883-1947)は、元ハイデルベルク大学神学部教授であり、一九一九年に執筆したDie Formgeschichte des Evangeliums(『福音書の様式史』)によって、新約聖書学における「様式史的研究」の先駆けとなった「巨匠」である。その研究は、福音書伝承のなかに「範例」(paradigma)「物語」「伝説」「訓戒」「神話」などの「様式」(Form)を見出し、さらにそれらの背後に、教会共同体における「宣教」「説教」といった「生活の座」(Sitz im Leben)を推定した。それはR・ブルトマンにも大きな影響を与えて、より厳密な、「様式史的研究」の頂点とも言うべき『共観福音書伝承史』の出版を促進させることとなった。ちょうど百年前(!)の一九二一年のことである。ディベリウスは『イエス』(原著、一九三九年)をも著したが、それはかつてディベリウスの許で学ばれたICU名誉教授の故神田盾夫先生によって邦訳されている(新教出版社、一九五〇年。W・G・キュンメルによる補訂版は、川田殖先生によって一九七三年に出版された)。
 本書は、著者がHandbuch zum Neuen Testament(HNT)シリーズのなかで著した「牧会書簡」(第一・第二テモテ書、テトス書)の注解書の翻訳である。その第二版(一九三一年)は、元ゲッティンゲン大学神学部教授のハンス・コンツェルマン(Hans Conzelmann, 1915-1989)によって一九五五年に増補改訂されたが、それが本書の底本となっている。コンツェルマンは、その一年前の一九五四年に、「様式史的研究」後の一大潮流となった、福音書記者の編集と神学とを問う「編集史的研究」の古典的な名著と見做されている『時の中心─ルカ神学の研究』(田川建三訳、新教出版社、一九六五年)を著した。
 Handbuch とは英語で言えばハンドブック(手引書、案内書)ということになるが、HNTシリーズのページのレイアウトは独特のもので、著者の訳した聖書本文がまず太字で印刷され、その下にその本文についての注解が、小さな活字でぎっしりとまったく改行なしにべた組みで収められている。そのなかには、当然参考文献もあれば、脚注に当たる部分もあり、当時の周辺世界の、主としてギリシア・ラテンの関連文献も、翻訳なしに縦横に引用される。余談になるが、一九七三年に出版されたE・ケーゼマンの『ローマ書注解』もHNTシリーズからの一冊であるが(邦訳は、岩本修一訳、日本基督教団出版局、一九八一年)、当時評者が留学していたチューリッヒ大学神学部における講義のなかで、指導教授のE・シュヴァイツァー先生が、ケーゼマンの注解書を高く評価しながらも、「何とも読みにくくて」と笑っておられたのが、とても印象的であった。それほどに読みにくいレイアウトを、訳者の山口雅弘氏はきれいに整理し、さらに周辺世界の関連文献の邦訳をも周到に用意してくれた。
 「牧会書簡」はパウロが書いたと記されてはいるものの、パウロ書簡としての真正性は、ディベリウス当時すでに久しく疑われており、彼もまたこれを偽書と判定している。ただし、その議論は極めて慎重なもので、例えば、牧会書簡でしか用いられない語彙が頻出する事実は、伝承の受容によるものである可能性もあるので、それだけでは決定的ではない、現に真正のパウロ書簡の間でも、背後の状況によって語彙が大いに異なることはある、それゆえ、真正性の問題を一面的に強調してパウロとの一面的な対決にだけ繋げるのは不適切な歴史的評価であり、むしろ「使徒後時代の教会の状況」のなかで「歴史的」に考察すべきだ、と余裕を持って主張される。
 もちろん、その思想と神学が、パウロから大きく懸け離れており、個人的な情報が史的パウロの再構成には役立たないのは、言うまでもない。とくに第一テモテ二章九─一五節などに見られるような、弱者を軽視する姿勢が厳しい批判の対象となることは、「訳者あとがき」でも的確に指摘されているとおりである。訳者の恩師・川島貞雄氏の、本書の翻訳に際しての誠意に満ちた助力への謝辞が記されているが、この「巨匠」の著書をこのようにして邦訳で読める喜びを可能にしてくれた訳者の労を多としたい。

書き手
青野太潮

あおの・たしお=西南学院大学神学部名誉教授

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