医療はどう変わるべきか ドイツ人医師からの提言
〈評者〉鹿島友義
わたしたちはどんな医療が欲しいのか?
人間中心医療を取り戻すための提言とその理由
M・デ・リッダー著
島田宗洋、W・R・アーデ訳
四六判・346頁・本体2600円+税・教文館
教文館AmazonBIBLE HOUSE書店一覧
医療は文化であり、その国の歴史や伝統と切り離せないと思っていたが、ドイツでも心ある医師が私たち日本の医療従事者と同じような問題に苦しんでおられることを知った。
本書の最終章は「真摯で人間的で将来性のある医療への七つの提言」となっており、これこそ著者が言いたかったことで本書執筆の動機でもあっただろうと思われる。本書の内容を短く伝えるためにこのうちのいくつかを上げて著者の主張を要約しつつ私見を述べたい。
⑴「医療に頼りすぎてはいけない」。近年、医療が技術偏重へ傾き、特に高齢者や終末期の患者が医療によってかえって不幸になることも多い。また著者は自分の心筋梗塞経験を踏まえながら先端医療よりも予防(生活習慣の是正)が重要であることを認識されたようだ。
⑵「医療費の公正な配分を」。医療費を国民がどう負担しどう配分すべきか。高度医療に過度の医療費が使われていることを憂慮し、もっと終末期医療をはじめとするケアに配分すべきと言われる。
⑶「医師には教養が不可欠」。「まえがき」でも「医療は医学的知識と科学的知識のつぎはぎでは上手くいきません。……『良い医師』は、同時に『教養がある医師』でなければならないのではないでしょうか」(23頁)と述べられている。この点についてわが国の状況はもっと悲惨である。医師のみでなくすべての専門職の高等教育でリベラル・アーツ(一般教養)の軽視が進行している。戦前は三年間の旧制高校があり、戦後も二年間の医学進学過程が設けられていた。しかし今や教えなければならない医学知識が膨大となり、教養学部を維持しているのは国立大学では東京大学だけとなった。地方大学のリベラル・アーツ教育の教員減は目に余る状態である。卒業後も国家試験、卒後研修、専門研修と小刻みのプログラム、試験の繰り返し。試験で問われるのはばらばらの知識である。文学、歴史、芸術も含めた教養は「良い医師」の必須条件であるにも拘らず、である。
⑷「患者にも自己責任」。先進医療、終末期医療で普及してきた自己決定権であるが、これは権利であるとともに患者の義務を伴うものでもある。
本書は、ドイツの医師ミヒャエル・デ・リッダーの代表作『わたしたちはどんな死に方をしたいのか――高度先進医療時代における新たな死の文化の提言』(島田宗平/ヴォルフガング・R・アーデ訳、教文館、2016年)の続編と言えなくもない。しかしテーマも扱われている症例もまったく異なるので独立して読めるが、両者を併読していただくと著者や訳者の気持ちをよりよく理解できるだろう。ドイツ語からの翻訳とは思えない、軟らかく平易な日本語で読めることを訳者に感謝したい。
原著も訳書も医学関連書としてではなく、一般書として発行されている。医療のあるべき姿を医療の提供者と受け手とで一緒に考えてほしいとの意向であろう。多くのキリスト者に読んでいただき、教会の中でも今後の医療について医療者と患者側の話し合いが盛んになることを期待したい。
鹿島友義
かしま・ともよし=国立病院機構九州循環器病センター名誉院長、鹿児島いのちの電話理事長