袴田康裕 著 コリントの信徒への手紙二講解〔上〕(鎌野直人)

人間の生の現実の中で、神の御心を示す
〈評者〉鎌野直人


コリントの信徒への 手紙二講解〔上〕
1-5章

袴田康裕著

四六判・260頁・定価2860円・教文館

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 二〇一九年と二〇二〇年にいのちのことば社からコリントの信徒への手紙一講解説教集(全三巻)を出版した袴田康裕氏によって、第二の手紙の講解説教集が教文館から出版された。氏は神戸改革派神学校の教授であり、日本キリスト改革派の緒教会での説教者でもある。本書は、同教団の千里山教会所属めぐみキリスト伝道所(川西市)という一〇名ほどの群れで語られた説教に基づいたものであり、一章から五章までの二一編の説教が収められている。それぞれの説教の前には当該の聖書の箇所が新共同訳で記載されている。
 氏もあとがきで語っているが、日本語による第二の手紙の講解説教集はそれほど多くない。その原因として緒論問題があるとのことである。第二の手紙は本来から一つの手紙なのか、それとも複数の手紙がまとめられたものなのか、研究者の間では議論は尽きない。氏は穏健な批評的立場をあえて取って、その上でコリントの教会が置かれた状況を理解し、第二の手紙を読み進めている(詳細は最初の説教に記されている)。

 本書に見られる氏の講解説教の原則は次のことばに表されるだろう。「神の言葉は、きれいごとを語るものではありません。むしろ人間の生の現実の中で、神の御心を示すのであり、それゆえに、私たちの現実の生活に届くものなのです」(九頁)。氏の説教はあくまでも神の言葉としての聖書を語るものである。しかし、パウロとコリントの教会の間で起こった様々な出来事を無視するわけではない。攻撃、傷、悩み、涙、愁い、厳しさ、慰め。これらが複雑に絡み合う中で苦悩するパウロの姿を氏は語る。聖書は「聖人の書」と誤解されやすいが、実際はそうではない。だからこそ、一世紀のコリントの教会が経験した出来事が生々しく語られれば語られるほど、二一世紀の日本の教会がそこに透けて見えてくる。初代教会だろうが、現代日本の教会だろうが、人々のうちには深い闇があるのだ。しかし、そこに神の言葉が一条の光となってあざやかに輝く。そこに希望があるのは、いつの時代も変わらない。
 氏の講解説教のスタイルは第一の手紙の講解説教とほとんど変わらない。各節を一文一文、丁寧に紐解いている。筆者は書評を書くために一気に読み進めたが、やはり毎週の説教を聞くかのように一篇一篇を丁寧に読み進めるべきだろう。氏が受け継ぐ改革派の伝統は、カルヴァンの注解やウェストミンスター信仰告白が説教に引用されていることから見え隠れはする。しかし、第一の手紙のものと比較して、より一層新約聖書、それもパウロの他の手紙との関わりの中から語られることのほうが多いように感じる。みことばそのものを講解することに集中する氏の姿勢を本書ではより一層感じる。その背景には、語りかけられている群れが開拓して日の浅い、小規模の教会である点もあるのでは、と想像する。講解説教を生み出すのは、聖書のテキストと説教者だけではない。その説教を聞く教会も説教に大きく寄与するのだろう。
 説教者と教会の協同の賜物であるこの説教集が広く読まれるように願うとともに、続く説教集の刊行を心待ちにしている。

書き手
鎌野直人

かまの・なおと=関西聖書神学校校長

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