今年はディートリヒ・ボンヘッファーが絶滅強制収容所で絞首刑となって八〇年となる特別な年である。ドイツ語版新全集(DBW)全一七巻は既に一九八八~九九年という、ドイツばかりかヨーロッパが東西分断から統一を果たしていく激動の時期に、途中出版社も変わるという難事業の末に完結。対応する英語版新全集一七巻も、一九九六~二〇一四年という驚異的な急ピッチで完結していた。いよいよ日本でもDBW版『倫理』の全訳が出た。今秋には『獄中書簡』も刊行予定である。旧「選集」版のボンヘッファー像とは全く違う全貌を目の当たりにすることになるだろう。まさに「ボンヘッファー・イヤー」の始まりである。難事業ではあるが、この期待と盛り上がりの中で次の「三冊」を推したい。ボンヘッファーという人を、「神学者─キリスト者─同時代人」(友人ベートゲの区分)という波乱の生涯を貫いて駆り立て、「たとい主から差し出される杯は苦くとも」(獄中詩「善き力に」『讃美歌21』四六九、『新生賛美歌』七三)と彼自身が歌った「殉教」の最期さえも、「暴君暗殺論」を用いて自己正当化せず、罪責を静かに受け入れていった「服従」の背後にあるものに触れる「三冊」(正確には部分)である。
倫理 DBW版新訳

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『倫理─DBW版新訳』
・ディートリヒ・ボンヘッファー:著
・宮田光雄、村松惠二、星野修、本田逸夫、小嶋大造:訳
・新教出版社
・2025 年刊
・四六判 820 頁
・6,930 円
第一冊目は、出たばかりの新訳版『倫理』の中の「教会は告白する──」……と、たたみかけるところである(一九二頁以下)。これまでの森野善右衛門訳は神学者の視点からの訳、あの時代の空気を知る者として、自身も含め日本の教会に何が欠けていたのかという鋭い問いを持って訳された迫力が魅力であった。今度の新訳は、宮田光雄以外の四人の訳者は「バルト、ボンヘッファーに必ずしも親しくない」非神学畑の政治学者たちだ。その分、神学畑よりもはるかに広い視点からの訳になっているのが魅力だ。日本の政治分野では「神学」という言葉が侮蔑的・揶揄的に用いられたりする風潮があるが、あの時代の一番の問題をドイツがまだ敗戦も迎えていない時点で、「非常時」を言い逃れにせず、具体的に正面からこうした言葉ではっきりと罪責告白していたのが「神学」の分野だったことに、若手の政治学者たちが恐れと慄きをもって訳していることが伝わって来る部分だ。モーセの十戒に沿って容赦なく罪責告白が続いていく。「以上に述べたことは言い過ぎであろうか? ここでまったく正しい二、三の人たちが立ち上がって〈教会ではなく、教会以外のすべてのものこそが罪を犯したのだ〉ということを証明しようとするかもしれない。……このような人は、罪責を告白することが、この世の罪を担いたもうた〈イエス・キリストの形〉を取り戻すことではなく、たんに〔教会の地位を〕道徳的に格下げする危険な試みとしか認識しないのである」。敗戦後すぐに出された「シュトゥットガルト罪責告白」(一九四五年一〇月)と比べても、この具体性は格段のものがある。ボンヘッファーのライフワークが『倫理』にあったことが伝わってくる。
ボンヘッファー説教全集2 ─ 1931-1935年

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『ボンヘッファー説教全集2 ─ 1931-1935年』
・ディートリヒ・ボンヘッファー:著
・大崎節郎、奥田知志、畑祐喜、森平太:訳
・新教出版社
・2004 年
・A5 判 320 頁
・4,950 円
二冊目に挙げるのは、『ボンヘッファー説教全集2 1931-1935年』の第Ⅱ部「一九三三年 ベルリン」(一一五~一五二頁)に収められている五つの説教である。一九三三年、ドイツの覇権を掌握したヒトラーが絶頂へと向かう中、ボンヘッファーのラジオ演説さえも中断されてしまう状況の中で、公に語られた名説教である。やがて当局から説教することも出版することも禁じられ、後に収監されたテーゲル刑務所でも説教を許されなかったボンヘッファーであったが、語るべき時に神の言葉を語るというのはまさにこういうことなのだと今でも教えられる説教である。これを当時大統領だったヒンデンブルクも座っていたというベルリンの聴衆たちの面前で臆することなく語り切るというのが、説教者としてどれほど勇気がいったかと思うのである。旧約の預言者たちもこうやって神の言葉を担っていたのだと教えられる。先日ワシントン大聖堂の説教壇で、就任したばかりのトランプ大統領の面前で明確に神の言葉を語り伝え、具体的に勧告した米国聖公会の女性司教の勇敢で誠実な説教が話題となったが、そういう場面に直面して逃げずに語るというのは、単純であるけれども大変な「服従」の決断である。
筆者自身が「安価な恵み」、安易な「慰め」に走り、神の言葉を担う説教から逃げていないか、読み返すたびに問われる説教である。新全集が編纂されていく過程で、こうした『説教全集』(日本語版三巻)や、『聖書研究』(旧約編、新約編の二巻)を編纂、出版したのはドイツ以外では多分日本だけだと思う。神の言葉を担った教会は、ひるむことなく命がけで社会に伝えることから逃げてはならない。そのことを、日本の教会がボンヘッファーから学び続けようとしている姿勢をこれらの出版は物語っている。その中でもこの五つの説教がとりわけ胸を打つのは、託された神の言葉を薄めることなく単純に語ることへのためらいと、それに打ち勝ち導かれる恵みが率直に語られ、聴衆と共に「我らの言葉」、「教会の言葉」として出来事になっていく一切が生々しく記録されているからである。「代理」の役目を放棄し、「安価な恵み」に逃れようとする教会に向かって、五つの説教は冒頭からこんな風に語られている。実に一貫している。「恐れの克服──これがここで述べ伝えられていることである。聖書、福音、キリスト、教会、信仰──それは、恐れに対するときの声である。……しかし、人間は恐れてはならない。私たちは恐れてはならないのだ!」。あるいは私たち教会は、「臆病で信仰の薄い……あまりにも慎重で心配性の……神の前に何者かであろうとして、何者でもないすべての者」ギデオンだからこそ、「この召しの声は、この世にあるほかの多くのものの一つである私たちプロテスタント教会に向かって呼びかける。あなたがイスラエルを救うべきである」。「説教の喜び──私たち今日の人間には、それを見出すのが大変困難になっている。それは、私たちが説教の言葉は聞くが、キリストの言葉を聞かないせいである」。「預言者対祭司、信仰の教会対この世の教会、モーセの教会対アロンの教会。──キリストの教会におけるこの永遠の争闘について、そしてその大円団について、私たちは、今日、聴くことにしよう」。「もし私たちの思い通りになるのだったら、私たちは自分のしなければならない決定を、今一度、喜んで回避することだろう。……しかし、まさに──感謝すべきなのであるが──私たちの思い通りには行かない。神が私たちの思いにまさに逆らわれるのである。……群れが大きかろうが小さかろうが、卑しかろうが立派であろうが、弱かろうが強かろうが、キリストを告白するならば、その群れに勝利は永遠にとどまる。恐れるな、小さな群れよ。御国を下さることはあなた方の父の御心なのである」。
この世的に生きるキリスト者──ボンヘッファーの幻

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『この世的に生きるキリスト者──ボンヘッファーの幻』
・マルティン・クスケ:著
・日本ボンヘッファー研究会:訳
・新教出版社
・1990 年
・四六判 316 頁
・3,631 円
三冊目は、ベートゲによる大『伝記』(一九六七年)に三年も先立って出された世界初のボンヘッファー伝である森平太の『服従と抵抗への道』や、世界中どこにも類書が見られない(?)村上伸『ボンヘッファー紀行──その足跡を訪ねて』( この一冊片手に旅をすればボンヘッファーが亡くなったのがまだほんの八〇年前のことで、まだまだ生々しい痕跡に触れることが出来ることを教えられる)を上げたいところなのだが、今回あえてお勧めするのはマルティン・クスケ『この世的に生きるキリスト者──ボンヘッファーの幻』の第Ⅳ章、「聖餐式を新たに身近に体験できたので」である。
敗戦後東西分断で社会主義圏に入れられた東独の教会は、教会税の特権を放棄させられ、堅信礼を受けて国家の成人式を選ばなかったキリスト者青年は大学入試資格や公務員試験資格を失うという様々な不利益をこうむることになる。クスケ牧師もそうした苦闘の中で新全集における『服従』の編纂を担ったが、「秘密警察」協力問題に巻き込まれ、自死という悲劇の最期を迎えてしまう。東独のキリスト者にとってボンヘッファーの「この世的にキリスト者であること」、「成人性」という幻がどれほど現実的なものであったかを知らされる。本章は東独の『時の徴』誌上で一九七九年になされた「聖餐式は私にとって何を意味しているか」というアンケートとその回答をめぐってなされた考察である。
西側の教会以上に東側では、国民教会の崩壊、領邦教会からの離脱、自由教会への発展を意識せざるを得なかった中で、教会の聖餐式があまりに形而上学的、個人主義的、後見役的、閉ざされた宗教的、特権的なものになり果てていることに、当時の東独の牧師たちの多くが危機感を抱いていたことをこ5 の章から知らされる。せいぜいのところ年に二、三度、それも礼拝出席者の二〇パーセントもあずからないような「聖餐式」で本当に良いのかという問いの中で、クスケたちは大人も子どもも、「食卓を円く囲み」、「パンとぶどう酒を受けるだけでなく分け与え合う」、「すべての人が招かれている聖餐式」をヘルンフート兄弟団やニカラグアのソレンチナーメの農民たちの実践から学び、教会大会で実践するよう提起していくのである。もちろんまだこの時点では教会当局は慎重な対応であったが、やがて教会大会ではそれが当たり前となり、東西統一後、二〇〇四年にはラインラント州教会で「聖餐、招かれているのはすべての人々」が決議寸前に至るようになり、更に二〇一三年にはヘッセン・ナッサウ州教会が「開かれた聖餐」に踏み切っていったことを私たちは知らされている。クスケをはじめとする神学者たちが追求していった「この世性」、「成人性」と並ぶボンヘッファー神学のもう一つの柱、「彼岸的ではなく此岸的に」、「旧約聖書的に新約を見直す」ということも、一九八〇年にラインラント州決議「キリスト者とユダヤ人の関係の更新のために」がなされ、その後の「讃美歌EG」編纂等にまで大きく影響していったことも私たちは知らされている。
私たち日本の教会もこうしたボンヘッファーたちの提起した改革を模索せざるを得ないだろう。