ロシアによるウクライナ侵攻のイデオロギー的背景として、両国が東方正教(これに関しては本誌六月号の特集参照)の信仰を共有することが指摘されている。日本ではよく知られていないことも相まって、東方正教に注目が集まりがちであるが、実は両国ともに複雑な多民族・多宗教国家である。「キエフ・ルーシ」と呼ばれる九世紀のウクライナに存在した国家が、東方正教を受け入れる舞台となったのは、地中海に通じる黒海に面していて、ギリシアの文物や移民を受け入れていたからである。中世から近世にかけて、ウクライナは東方正教とカトリック教会が覇を競う舞台であったし、クリミアはオスマン帝国の保護領となってイスラームが普及した。さらに、西欧諸国における迫害を逃れたアシュケナージ系ユダヤ人が数多く移住し、独自の文化を発展させた。決してウクライナに限ったことではないが、その地域の歴史と文化の成り立ちを知ることなしに、現在の宗教状況を理解することは難しい。以下では、ウクライナの宗教に触れながら、この国の歴史を学ぶことのできる三冊を紹介したい。
物語 ウクライナの歴史─ヨーロッパ最後の大国
ウクライナの歴史を通史的に学びたいのであれば、黒川祐次『物語 ウクライナの歴史─ヨーロッパ最後の大国』から読み始めるのがよいだろう。古代から順を追って、黒海を通じたギリシア・地中海地域との交易から説き起こされる。キエフ・ルーシが東方正教を受け入れた過程については、『原初年代記』の記述が紹介されている。時の大公ヴォロディーミルが、酒が飲めないのはつまらんと言ってイスラームを退け、典礼の荘厳さにひかれて東方正教を受け入れた、という逸話は、史実としての信憑性こそ疑われるものの、ルーシ人の気質をよく表したものとして今も人口に膾炙している。キエフ・ルーシが商業を中心として発展した国家であり、キーウが一三世紀ヨーロッパ最大級の都市であったということも、わが国ではほとんど知られていないが、ウクライナ人が現在も誇る重要な事実である。
キエフ・ルーシの衰退後、ウクライナの地を統治したのは、「農民の地獄、町民の煉獄、貴族の天国、ユダヤ人の楽園」ということわざが残るポーランド・リトアニア共和国である。また、当時奴隷貿易でにぎわっていたクリミア汗国への目配りも重要だ。この時、オスマン帝国に売られたウクライナ人奴隷女の一人に「ロクソラーナ」(オスマン側での名は「ヒュッレム」)がいる。彼女はスレイマン一世の寵姫となり、ハレムに君臨した。奴隷から最高位の女性へという波乱万丈の人生は、現在に至るまで人々の想像力を掻き立て続けている。さらに、このクリミア汗国に対抗して現われたのが、「正教の擁護者」を自認した武装集団コサックである。
コサックの首領「ヘトマン」の下で、キーウは復興を遂げた。こうしてウクライナを独立に導いたのがボフダン・フメリニツキーである。ヘトマン国家を打ち立てたフメリニツキーは、ポーランドからの独立を守るために、一六五四年、同じ正教国家であったモスクワとの同盟を結んだ(ペレヤスラフ協定)。しかし、彼の死後にモスクワとポーランドが締結したアンドルソヴォ条約に従って、ドニプロ川左岸(東部)ウクライナはモスクワの支配下に置かれ、ロシア支配の時代が幕開けるのである。この時代に活躍したのが、ウクライナ第二の英雄と呼ばれるイヴァン・マゼッパである。彼はピョートル一世の寵臣として権勢を振るったが、のちにコサックに多大な犠牲を強いるピョートルを裏切ってロシアと戦い敗北した。ちなみに、現在のウクライナ各地に残る壮麗な教会建築の多くは、「マゼッパ様式(ウクライナ・バロック)」と呼ばれ、この時代に建設されたものである。彼らコサックの生き様もまたヨーロッパの文豪、音楽家、画家たちにインスピレーションを与えた。ウクライナ史を学ぶと、ヨーロッパ芸術に対する造詣が深まる。本書はウクライナの歴史を彩るロマン主義によく焦点を当てており、一九世紀以降のウクライナで顕著になるナショナリズムが依拠した「物語」にあふれている。
ヘトマン国家が衰退した後、ロシア帝国によるウクライナ支配が本格化する。右岸ウクライナの大部分も、一八世紀末のポーランド分割により、ロシア帝国の支配下に移った。コサックの指導者や、ポーランド貴族化したウクライナ人が貴族の身分を認められ、サンクト・ペテルブルクで活躍したり、ロシアの芸術界に著しい貢献を行ったりした。こうした知識階級の中から、ウクライナの歴史、文化、言語の独自性を訴える「ウクライナ・ナショナリズム」が生じてくるのである。
ウクライナ・ナショナリズム─独立のディレンマ
ウクライナ・ナショナリズムに関する必読の書は、二〇二二年四月に復刊された中井和夫『ウクライナ・ナショナリズム─独立のディレンマ』である。一九世紀以降のウクライナ史は、ナショナリズムを縦糸として、ロシアとの関係を横糸に織り上げられてきたと言って過言ではない。本書は、ウクライナ・ナショナリズム運動の展開について、ロシアをはじめとする周辺国家の影響という背景を紐解きながら、政治と文化の両面から丁寧に追っていく。
本書では、歴史的発展に従ってウクライナを六つの地域区分(①ドンバス、ハリコフを含むスロビツカ・ウクライナ、②キエフを中心とする旧ヘトマン国家領域、③右岸ウクライナ、④オデッサを中心としてエカテリーナ二世期以降に発展したノヴォロシア、⑤旧オーストリア領であったガリツィア、⑥旧ハンガリーであったカルパチア・ルーシ)に分けることを提案する。
長年にわたって甚大な影響力をふるってきた隣国ロシアとの関係について、著者は両民族の最初の意識的な出会いとしての一六五四年のペレヤスラフ条約以来、「本当の意味での「対話」が欠如している」と指摘する。ソ連解体後、クリミアの帰属問題に端を発する両国の対立が生じたが、これについても本書は詳細な検討を行っており、現在に通じる鋭い指摘がなされている。
また、ウクライナの言語や宗教が、ロシア支配下において禁じられ、抑圧されてきた歴史が詳細に書かれるが、著者はウクライナを武力によって支配され、従属を強いられた被害者としてのみ描くことはしない。ウクライナ自体もまた、複雑な利害関係を持つ少数民族を多数抱え、困難な国民統合を強いられてきた。その中でロシア人に同化して、自らも支配体制の内側に入り込むことを選んだウクライナ人は少なくない。
ただし、正教会の問題については、本書が書かれた時代から、重要な変化があった。本書では、独立後のウクライナにおいて、「ロシア正教会(正確な名称は「ウクライナ正教会(モスクワ総主教座)」が残り、これはもっぱらロシア人かロシア化されたウクライナ人信徒から成る、とある。しかしこの教会は、独立した自治権をもち、「ウクライナ正教会」として発展してきたことを指摘しておきたい。それでも、ウクライナの国民統合への苦難の道を丁寧に描く本書の価値は疑いを得ない。
ブレスト教会合同
最後に、ウクライナ独自のキリスト教会であるギリシア・カトリックを扱ったものとして紹介しておきたいのが福嶋千穂『ブレスト教会合同』である。一六世紀末のポーランドで行われた正教会とローマ・カトリックの合同から始まり、合同の賛否をめぐるキエフ府主教座の分裂、その後のロシア帝国支配下における正教会への「再合同」とハプスブルク帝国支配下での合同教会の発展、ソ連支配下での弾圧を経て、復活に至るまでの歴史が紹介されている。東でも西でもなく、同時にそのどちらでもあるという複雑な教会のアイデンティティが、まさにウクライナのそれを体現するものであることがわかるだろう。
高橋沙奈美
たかはし・さなみ=九州大学人間環境学研究院講師