【エッセイ】『小川修 パウロ書簡講義録』全十巻の刊行を終えて(立山忠浩)

パウロの声に耳を澄ませ

『小川修 パウロ書簡講義録』
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 『小川修 パウロ書簡講義録』全十巻の刊行を遂行した。本講義録は、小川修氏の同志社大学神学部大学院での講義(二〇〇七~二〇〇九)を忠実に起こしたものである。小川氏は刊行を志した四名(箱田清美、高井保雄、大柴譲治、立山忠浩)の日本ルーテル神学校の学生時代の恩師であった。聖徳大学に身を置きながら、同志社大学神学部の石川立教授の招聘に応えてパウロ書簡の講義をされたのである。
 講義録を刊行することになった第一の理由は先生の突然の癌の発覚であった。息を引き取る一年ほど前に手遅れ状態の病巣が見つかり、一年の余命を告知された。期待した抗がん剤の効果が芳しくなく、先生ご自身の手による講義録の出版が困難となることを悟った我々は先生を説得して(本人には出版の計画はなかったが)我々の手で講義録の刊行を行うことを承認していただいた。せめてご存命中に第一巻を出版することを目指したが、それは叶わなかった。

 さらにもうひとつの理由があった。先生の講義は実に斬新で、しかも根拠を持った明晰さに満ち、福音の恵みと豊かさに溢れている。これを大学院の講義だけに留めることは大きな損失と考えたからである。
 我々がパウロから受ける印象は何か。ルターの宗教改革がローマ書、ガラテヤ書を中心としたパウロの手紙との出会いから起こったことは誰でも知っている。ゆえにプロテスタント教会に属する者にパウロ書簡の重要さを疑う者はまずいない。しかしパウロ書簡を丹念に読むことがあるだろうか。例えば秋の宗教改革を意識する時期に、信仰によって義とされるという「信仰義認論」を確認するために、ローマ書やガラテヤ書の該当する箇所だけを読み直すことがあろう。さらに言えば、ルターの義認論を前提にしてパウロを読もうとするのである。もちろんそういう読み方が有益なことがある。
 しかし小川先生のパウロの読み方はそれとは異なる。「パウロの声に耳を澄ませ」、これである。ルターを初め、偉大な神学者たちのパウロ解釈に耳を澄ますのではない。むしろ彼らの解説を検証し、自分自身がパウロの肉声を聞き取る中で、「キリストへの信仰によって義とされる」(ガラテヤ二・一六など)のではなく、「キリストの〈まこと〉によって義とされる」という声を聞いたのである。もっともこれはバルトが『ローマ書』で語り、新約聖書学の専門家たち(前田護郎、太田修司、田川建三など)も述べていることであり、先生のオリジナルではない。しかしパウロの三大書簡を辿る中で、信仰義認論ではなく、一貫して流れている「〈まこと〉による義認論」を掴んだのである。本講義録の副題の「神の〈まこと〉から人間の〈まこと〉へ」はこれを表現しているが、これが本講義の根幹である。
 因みにこの副題は、ローマ書一章一七節の言葉であるが、ここは「初めから終わりまで信仰を通して実現される」(新共同訳)とか「信仰に始まり信仰に至らせる」(口語訳)と訳されて来た。この度の『聖書協会共同訳』でようやく「真実により信仰へ」と改訳された。
 その他パウロのダマスコ体験(パウロ自身はほとんど語らないという問題)、人基一体という造語、Ⅰコリント一五章の復活理解など目の開かれる講義に満ちている。
 ここまでの解説から小難しい講義録を連想された方も多かろうが、そうではない。講義録ではしばしば座古愛子という女が登場する。身体に大変重い障がいを負い、絶望の日々を生きなければならなかった女性である。学歴はなく論文も残していない。神学界では無名と言って良い。しかし彼女こそがパウロの福音を体現し、新しい人間として生きることになった稀有な人として取り上げられる。パウロの声は神学議論や神学書、あるいは小難しい注解書から聞こえるとは限らない。むしろ稀である。この講義録は座古愛子の掴んだパウロの声を代弁しているとも言えよう。小難しい講義を目的としていないことは明らかであろう。

書き手
立山忠浩

たてやま・ただひろ=日本福音ルーテル都南教会牧師

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