【特集】「修復的正義」を知るには ▼この三冊!

神は私たちに和解をすすめる。教会では、人を赦しなさいと教えられる。しかし実際のところ、自分や大切な人を傷つけた人と心から和解するための具体的な方法を教えられたことがある人が、どれほどいるだろうか。赦しなさいといわれても、赦すとはどういうことか。自分を傷つけた人を赦そうと努力してもどうしようもなく起こってくる怒りや悲しみに、私たちはどのように向き合えばよいのか。

修復的正義は、犯罪後の被害者と加害者の和解対話として、一九七〇年代後半に北米のメノー派を中心とする人たちによって取り組みが始まった。現在では、犯罪のみならず、学校でのいじめや非行への対応、内戦後の和解、高齢者の虐待予防など多様な場面に応用されている。その結果、現在の修復的正義は、狭義に犯罪における被害者と加害者の対話を指すだけではなく、「人が人を傷つけるようなことがあったときに、そこから正義の構築と関係性などの修復の両立を目指していくための実践哲学」を指す言葉となり、その実践形態も多様なものとなった。

本稿では、修復的正義の基本的な考え方や歴史的原点を知ることができる一冊、そしてその応用分野の広がりを概観できる一冊、そして修復的正義の精神が日本の文脈の中で立ち顕れた一冊を紹介したい。

 


H・ゼア『修復的司法とは何か』──応報から関係修復へ


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ハワード・ゼア:著
西村春夫、細井 洋子、高橋 則夫:監訳
新泉社
2003 年刊
A5 判312 頁
2800 円(税別)

  著者ゼアは、現代の修復的正義の実践を開始し理論化した人で、「修復的正義の祖父」とも呼ばれている。修復的正義の実践は、一九七〇年代後半に犯罪の被害者と加害者の和解対話としてゼアらによって本格的に開始され、北米や欧州などに広がっていった。一九九〇年に出版された本書は、修復的正義の考え方を初めて世に問い、世界中にインパクト
を与えた本である。
本書では最初に、現在の刑事司法制度の中で、被害者と加害者がそれぞれ人間としてどのような体験をするのかを事例を通じて論じ、現代の刑事司法制度が被害者のニーズにも、加害者の更生のためのニーズにも応えられていないのではないか、と提示する。国家による刑事司法制度は、司法(正義)の根幹を法を破った人に「報いを与える(応報)」の考え方を原則にしている。だが、聖書が犯罪時に最も求めているのは、本質的には、シャローム(ものごとのあるべき完全な姿、人と人そして人と神の完全な関係性)を取り戻すことではないかと提起する。
シャロームを取り戻すことに焦点を当てた犯罪への新しい視点を「修復レンズ」として、ゼアは提示する。「修復レンズ」では、犯罪の本質を、法を破ったことではなく、人(あるいは人間関係)を傷つけたことと考える。だから犯罪をした加害者には、その傷つけた対象(人や物)やその相手との関係性を、健全化し修復する責任がある。具体的にどうすべきかについては、被害者のニーズを聞いて、加害者はそのニーズを満たす努力をする。被害者と加害者の和解対話でも、このような視点に基づいて対話が進められる。
「赦し」とは、過去にあったことを忘却し、帳消しにすることではない。「加害者や加害行為による影響力(支配)から解放されること」とゼアはいう。魂から向き合う対話ができたなら、「赦し」が見えてくるかもしれない。
ゼアは本書から十五年後に修復的正義のエッセンスを整理して記されたわかりやすい入門書『責任と癒し』(森田ゆり訳、築地書館)を著している。訳書は新本での入手は困難だが、おすすめしたい。

E・ベック他『ソーシャルワークと修復的正義』
癒やしと回復をもたらす対話、調停、和解のための理論と実践


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エリザベス・ベック、ナンシー・P・クロフ、パメラ・ブラム・レオナルド:編著
林 浩康:監訳
明石書店
2012 年刊
A5 判496 頁
6800 円(税別)

  刑事犯罪での実践から出発した修復的正義だが、一九九〇年代以降は多様な分野に応用されはじめた。修復的正義の実践は、ソーシャルワークが対象とする現場で実践されることが多く、その多彩な応用分野を知ることができるのが本書である。
本書では、第Ⅱ部でソーシャルワークが実践される多様な場面における修復的正義の現状や可能性が論じられる。学校、児童福祉現場、コミュニティー形成、家族における女性への暴力抑止、高齢者福祉、内戦後の和解や地域再生などが扱われている。
教育や子どもに関わる分野は、修復的正義が広く展開された分野だ。例えば学校で非行のような問題行動が起こったとき、「校則違反で、停学三日間」などと処理される。しかし停学中に、生徒は反省するどころか、学校外の悪い仲間との関係を深め、停学が明けても学校に登校せずさらなる問題行動を起こし、警察まで呼ばれてとうとう退学処分、といった不幸な流れは、米国でも日本でもしばしばあることだった。これに対し、単に停学とするだけでなく、修復的正義を応用し、その生徒が痛みを与えた相手と向き合う場をつくり、そのうえで関係者全員で生徒の更生とコミュニティーへの再統合を支援していく方が教育的ではないかと注目されている。話し合いの方法は、被害者と加害者の対話以外に、学校関係者と生徒と生徒家族が参加しての「家族グループ会議」、クラスメートなどが参加しての「サークルプロセス」などの方法がとられる。
また、内戦後の地域での和解も、修復的正義が重要な役割を果たす分野だ。第十一章では、リベリアの事例が論じられている。修復的正義の実践装置として真実和解委員会を取り上げ、リベリアではそれがうまく機能しなかったことが述べられているが、世界的には、真実和解委員会のみならず、草の根レベルでの地域再生の取り組みに修復的正義の精神を組みこむことで、地域の和解に成果を上げている。
また第十二章では、高齢者ケアの分野が取り上げられる。虐待やネグレクトの発生時に、修復的正義の考え方によって在りようを正しながら、介護者と高齢者本人の関係性も修復する可能性を持つことが示唆される。高齢化の進む日本では、本分野は家族間の関係性の和解というテーマと合わせて重要な分野である。

緒方正人『チッソは私であった』──水俣病の思想


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緒方正人:著
河出文庫
2020 年刊
文庫判264 頁
1100 円

  緒方正人氏は、水俣病で大切な家族を殺され、自身も水銀の影響で水俣病を患った。その中で、若いころはまさに「父の仇を討つ」ため、患者運動の中心として、加害企業チッソと国や県の行政を問い、激しく闘っていく。しかし氏は「闘えば闘うほど、相手の姿が見えてこない。チッソや国といっても、その人の顔は見えず、心からの謝罪も聞いたこともない。せいぜい、お金などの補償の仕組みの中に組み込まれてしまう」(筆者要約)と感じる。
加害組織による人間不在の対応の中で、加害者への「問い」が自分自身に跳ね返ってきたと緒方氏はいう。その中で氏は「もし自分がチッソの社員だったら、工場排水を止めることができていたか」という問いに至る。できていなかったのではないか、と思い至った瞬間、自らが問うていたのは、加害企業チッソ・行政ではなく、この制度化・システム化される世界に生きる自分自身であったと気づく。「チッソは私であった」という言葉を残し、氏は、制度的救済を求めて闘う患者運動から一切退いた。
修復的正義という言葉はまだなかった時代の、日本の漁村の民である緒方氏の言葉の一つ一つが、ゼアの言葉に重なる。「さまざまな仕組みや制度が『人間として』あるいは『人として』という主体を覆い隠してしまっているのではないか」。制度の中で人間存在が阻害される。直接人として向き合いたい。被害者と加害者の対話プログラムなどない一九八〇年代の日本で、氏は「個」としての対話を求め、チッソの正面玄関前で一人、魚を焼き、焼酎やお茶を差し出して、道行く人との対話を求め始めた。緒方氏の生き様は、加害被害で分断した水俣が、もう一度、過去の悲劇から学び、立場を越えてつながり、再生していく土台ともなった。
書き手
石原明子

いしはら・あきこ:熊本大学准教授

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