『本のひろば』は、毎月、キリスト教新刊書の批評と紹介を掲載しております。
本購入の参考としてください。
2018年8月号
出会い・本・人
なぜ本を読むのか? そこに本があるから(エッセイ:堀江知己)
エッセイ
「井上洋治著作選集」全10巻 完結記念(エッセイ:山根道公/山本芳久)
本・批評と紹介
- 『キリスト教の再定義のために』
荒井献著、新教出版社―(細田あや子) - 『歴史から世界へ』
八谷俊久著、新教出版社―(関田寛雄) - 『NTJ新約聖書注解 ルカ 1─9:50』
嶺重淑著、日本キリスト教団出版局―(三ツ本武仁) - 『キリスト者の世界観』
A.M.ウォルタース著、教文館―(廣瀬薫) - 『パウロの弁護人』
G.タイセン著、教文館―(浅野淳博) - 『微笑みをつないで』
鵜飼栄子著、教文館―(近藤勝彦) - 『たとえ語り尽くせなくても上・下』
秋葉修孝著、一石書房―(工藤信夫) - 『失望しないで』
富岡愛美著、ヨベル―(久保木聡) - 『無菌室のボーカル』
地濃誠治著、ヨベルー(檀原久由) - 『ジェームズ・バラの若き日の回想』
J.バラ著、キリスト新聞社―(太田愛人) - 『田村直臣のキリスト教教育論』
小見のぞみ著、教文館―(今井誠二)
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編集室から
前回(4月号)の編集後記に、『キリスト教綱要』の読書会をについて書かせていただいた。その一巻目の読書会が終わったとこで、SNSにその感想を投稿したところ、クリスチャンの友人や牧師、神学生らから「いいね」やコメントをいただいた。20代からも「楽しそう!」という声から、「全巻揃えたけど、読むきっかけがなくて……」「誰かと一緒に読めばいいんだ!やってみます!」など。当たり前かもしれないが、古典や読書会に興味がある人はまだまだいるようだ。牧師の良書紹介もありがたいが、情報発信はSNS世代の若者にも一役買ってもらいたい。教会の青年と話をしても、意外と(?)キリスト教書を読みたいとは思っているよう。ただ、どうも勉強気分になって、途中で飽きてしまったりと続かないそうだ。スマホ世代ど真ん中の高校生にも「読書する?」と聞いたところ、「しない」と即答。「読んでいても、ちょっと前に何が書いてあったかすぐに忘れてしまうから嫌になる」だそうだ。一方で、SNSの短い文書や、細かく区切られたブログ記事は読めるのだとか。
興味はあるが理解が追いつかない。特にそれが専門書からの距離が遠ざかる要因となっているのかもしれない。では、分かりやすい言葉、噛み砕いた言葉にして届ければ万事解決か……といえば、そうでもないだろう。
先日読んだ、元講談社編集者の鷲尾賢也さん(故人)の『編集とはどのような仕事なのか』(トランスビュー)に、読者が「なんとなく分かったような気になった。あるいは賢くなったような気になった……ということになれば、編集者の仕事としては成功なのである」とあった。確かに大人も読んだ本のすべてが頭に入っているわけではない。名編集者が「なんとなくでいい」と語るのだ。情報が流れるネットの世界ではないのだから、ゆとりを持って読めばいい。そう読書のハードルを下げるのも、わたしたちの役目かもしれない。問題はどうやって伝えていくか……。(桑島)