改革派・ピューリタン的信仰の歴史的意義の解明と集大成
〈評者〉坂井純人
ウェストミンスター信仰告白講解(上巻)に続き、下巻が刊行された。本書は上巻に続き、宗教改革の重要な主題である救済論と教会論、終末論の領域における御言葉の解明に光を照らす、ウ告白の後半部分の講解である。本書は、著者の長年の研究成果を踏まえた重厚な考察により、ウ信条全体を生み出したピューリタン的・改革派信仰の精髄を歴史的背景の分析とともに、その信仰内容を網羅的に解説している。
構成は、ウ告白の救済論における神の恵みへの応答としての、第16章「良き業」論に始まり、教会論を経て、第33章の「終末論」に至る主題の解明である。
本書の特色と価値は、まず、第一に、読者に対する丁寧で配慮に満ちた構成にある。具体的には、厳密な本文研究を土台に、同時代の改革派諸信条との関連個所が付記され、各種の翻訳と、訳文の検証結果を〈註〉で示し、さらに、〈解説〉で、教理的、信仰的内容が解説されている。第二に、本書は、宗教改革の意義を存分に考えさせる教理史的背景の解明に有益である。特に、教理史的背景としての、対ローマ・カトリック、プロテスタント陣営での対ルター派(良き業、聖餐論におけるキリストの臨在理解等)との異同、また、教会論では、教会と国家との関係をめぐって、再洗礼派やエラストス主義者との違い、国家に対する教会の霊的自律性を主張するウ告白の立場の解説等は、改革派、長老主義教会の形成過程と存立意義を理解する上で、重要である。
上巻の推薦文で、水垣渉氏が述べていたように(「本のひろば」二〇二三年三月号所収)、聖書神学的考察と、教理史的背景と神学的主題の追及についても、本書を手引きにするなら、読者は、さらなる神学的視野の広がりへと導かれるであろう。
第三に、本書は、神学校のみならず、教会の実際的な学びの場で、講じられ、積み重ねられてきた信徒の方々との共有財産であることが心に刻まれる。全体を通じて一貫する基調は、御言葉の真理を正確に解き明かし、御言葉を、私たちは、このように承り、主への頌栄をささげます、と告白する礼拝者の姿勢である。つまり、御言葉によって教会を建て上げる信仰者の言葉として紡がれている。著者が、上巻の「あとがき」で記された、ウ信仰告白を採用してきたスコットランドの教会と神学の足跡を辿る研究を続けたいとの思いは、下巻を読み、筆者もその必要性を強く感じた。なぜなら、信条の採用と実際的適用は、空文化されては意味がなく、信仰告白文の文言が、信仰の実践に適用され、教会の霊性を涵養してこそ、その意義がはかられるからである。この告白文が、神の御言葉の普遍的真理性を証しするとともに、福音宣教の面で、各国の教会の歴史の中で、どのように採択され、適用され、どのような教会形成の実を結んだのか、が今後も問われ続けるであろう。
筆者自身も仕える教会で礼拝前、後、各クラスで何年も、ウ小教理、大教理、信仰告白を講じる機会をいただいた。長年かけて振り返ると、ある種の手ごたえも感じる半面、時代背景と使用言語、文化の相違からくる適用面での難点を感じたのも事実である。しかし、本書の登場により、この課題に対しても、より大きな助けと霊的益を奉仕者と会衆は、共に得るであろう。
神学生時代から、同氏と共に学び、日本における改革派信仰、長老主義教会の形成のために、ウ信条研究が必須と知らされた時から、着実に、学究を重ね、先達の研究成果を自らの開拓的分野とも言える本書へと結実させた畏友の努力に敬服する。
本書には、学問的成果に加え、実際的、現代的なキリスト者の生の課題にも光を当てて、読者の心の奥底に届く言葉が随所に見られる。ここに、牧会者であり、神学教師としても、堅実な伝道者養成に、献身してこられた著者の祈りと姿勢が表れている。本書は、神の御言葉を受けて、その意味を神学的に究明し、宣教する姿勢を、信条研究により、示す稀代の良書である。今後、この分野における研究書のスタンダードの一つになるであろう。
坂井純人
さかい・すみと=日本キリスト改革長老教会東須磨教会牧師、日本福音主義神学会西部部会理事長、神戸神学館教師