信仰告白の構造が見える画期的な分析
〈評者〉相馬伸郎
「キリスト教ってなんだ?」と混乱させられる時代の中でウェストミンスター信仰告白は「これだ!」と答えてきました。16世紀の改革者たちの諸信仰告白を受け継ぎ、展開させたまさにプロテスタントの総決算的文書、教会史の金字塔の一つであることは疑うことができません。神学的流行や新しい聖書解釈がもてはやされがちな日本の状況において教会形成と伝道の足元を見つめ直すための指導者必携文書であると思います。
それだけに、この註解や講解を公にすることのできる文献学研究、歴史研究、教理研究の力量を持つ牧師や研究者は決して多くありません。ひとり松谷好明先生は、生涯をかけこれに取り組まれついに世界レベルに達した稀有な研究者です。このたび、改革派陣営の大きな期待を背に、満を持して上梓されました。
さて残念ながら、日本においてウェストミンスター信仰告白は敬して遠ざけられてきたのは事実だろうと思われます。誰よりも筆者自身、かつて改革教会の伝統の外にいて、いのちが燃えるような聖書の救いの教えを理路整然かつ厳密に書き連ねるウェストミンスター信仰告白や同大教理問答に「福音を冷ましてしまう」とほとんど生理的な拒否反応さえ覚えていた時代がありました。しかし、そもそもウェストミンスター信仰規準は、神学者たちの長期にわたる会議によって編まれた公文書中の公文書です。個性的な表現や神学主張は退けられて当然です。また信仰告白は一義的には、教理の擁護に責任を担う職務者たちのためのものですから難解な箇所があるのも当然です。
だからこそ本書の価値は際立つものとなります。難解な箇所は、牧者ならではと思われますが、引証聖句をして丁寧に解きほぐされていきます。著者は、既に『三訂版 ウェストミンスター信仰規準』(一麦出版社、2021年)をペトルス・ラムスのディコトミー(二分法・各概念の二分を繰り返す)に基づいて訳出されました。本書もまたラムスの二分法によって分析し、その構造を可視化してみせ、一目瞭然に提示することに成功しています。著者の「各章、各節が、徹頭徹尾、ラムス的二分法で貫かれている」(44頁)との分析、解釈の正しさは見事に証明されています。「何度読んでも意味不明」と嘆かれた方にこそ手にして「見て」いただければと思います。著者の頭脳の明晰さは、附録のA~Lの図表にも現れています。例えば、Lのジェームズ・アッシャー「神学体系」の構造図だけでも購入の元がとれるかもしれません。
しかも、本体となる註解は、その構造理解に支えられてどこまでも冷静かつ短文による明晰さが特徴です。例えば、歴史研究に裏打ちされた解説に「なるほどこの一句は外せないわけだ」と論争相手に対する言葉の意図が鮮明にされます。何よりも会議そのものへの尊敬と議論し抜かれた言葉と事柄に対する喜びと感謝によって、味わい深くついには熱いものとなっています。著者自身が、本告白の「火種」に半世紀燃やされ続けてこられたからだと思われます。おそらく本書によってウェストミンスター信仰告白に開眼される学徒が起こされるでありましょう。願わくは、この火がさらに燃やされんことを。
新たな戦争前夜を思わされる今、著者の『キリスト者への問い─あなたは天皇をだれと言うか』(一麦出版社、2018年)ではありませんが、日本の教会はまたもかつての過ちを違った仕方で露呈していると思われます。背骨と腰が脆弱だからです。キリストの権威への徹底的服従を貫徹し、偶像礼拝に抵抗するためには、急がば回れではありませんが、カテキズム教育=教理の体得という一本道を愚直に歩むことこそ本道かつ急務ではないでしょうか。本書は、この時代の教界に対する神からの問いかけであり賜物であると思います。著者に心から感謝するとともに生涯の研究を豊かに実らせてくださった神の栄光をたたえる者です。
相馬伸郎
そうま・のぶお=日本キリスト改革派教会名古屋岩の上教会牧師