イエスの体温を感じて
〈評者〉鈴木道也
本書は、大頭眞一先生によるマルコ福音書の説教集の第二巻です。二〇二〇年六月二一日から十二月六日にかけて語られた講解説教が収録されています。範囲は三章三一節から八章三八節まで。第一巻と同様、礼拝の中で実際に語られたものを文字起こししています。
本書の説教が語られた二〇二〇年の下半期は、まさにコロナ・パンデミックにより国内外が大きな混乱に陥っていた時期でした。懸命に感染対策に努める中、多くの教会が会堂での(対面での)礼拝を休止せざるを得ない状況に追い込まれました。本書においても、礼拝は対面とYouTubeでの配信の併用、あるいは対面は休止し配信のみで行われています(大頭先生が怪我をされ、療養のためオンラインで説教されていた時期もあったとのことです)。私も二〇二〇年当時、自分が教会でどのような説教を語ったかを思い起こしつつ、本書を読み進めました。
本書において大頭先生が一貫して語っているのは、イエスの到来により、神のご支配はすでに始まっているという肯定的なメッセージです。困難な現実の中にあっても、神の国は成長している(六三頁)。だから心配はいらない。《今は喜びの時、喜ぶべき時》なのだ、と(三七頁)。また、コロナ下の《今だから味わうべき恵みがあり、今だからなすべき使命》があるとも語っています(九三頁)。
先が見えない状況の中で、牧師がじっくりと腰を落ち着けて、そのように一貫したメッセージを語り続けてくれることで、教会の方々は─会堂で、パソコンの前で─どれほど支えられ、勇気づけられたことでしょう(私も書評を執筆するにあたり、実際の礼拝動画をYouTubeで幾つか視聴してみました。大頭先生の落ち着いた、ゆっくりとした語り口はとても安心感を与えられるものでした)。
大頭先生のメッセージがただ楽天的なものであるかというと、それは少し違うように思います。あの時、先が見えない不安が私たちをとらえていました。いわば、一歩先を薄暗闇が覆っているような感覚でした。希望の光をなかなか見出すことができない。大頭先生もそのような現実を前提としつつ、だからこそ、一歩一歩、イエスさまの背中を見つめながら、共に歩んでいこうと呼びかけています(二六九頁)。何より、人となられた神の子、イエスさまの体温を感じながら─。《主イエスの胸の中に留まって、主イエスのみことばを聞き続け、主イエスの体温を感じ、主イエスの胸の鼓動を感じ、みことばを聞き続け、み胸に留まり続けたら、私たちの鼓動がまるでイエスさまの鼓動と同期するかのようになる。……》(四三、四四頁)。
説教集第一巻から、大頭先生は一貫して、イエスの胸の内に留まることの大切さ、その体温を感じることの大切さを語っています。それは希望というより、熱としての光を語っているのだと私は受け止めました。たとえ希望の光は見出すことができなくても、今この瞬間、私たちは熱は感じることができる。暗闇の中でも、イエスさまの体温を感じ取ることができる。かつて人として生きておられ、いまも私たちと共におられる御子イエスの胸の内に包まれる中で。
二〇二〇年から五年が経過し、通常通りの生活が取り戻されている今、改めて当時のことを思い起こしつつ、共にじっくりと味わいたい説教集です。













