福音に抱きしめられる説教集
〈評者〉宮崎 誉
大頭眞一牧師による待望の新約聖書からの説教集の第一巻が出版されました。これまで、旧約のモーセ五書からの講解説教を、八巻に渡る書籍として出されてきましたが、新シリーズではマルコによる福音書第一章から第三章までの講解説教が収められています。絵本作家ソラさんによる文字起しで、説教の肉声が響くような読みやすい文体になっています。
大頭牧師は、英国のナザレン神学大学で学ばれ、多くの神学研究会で学ばれ、自身が主催する通称「焚き火塾」では牧師・信徒たちによる盛んな議論が繰り広げられて、福音の本質を探究してこられました。そのような研究者としての背景にもかかわらず、この説教集は平易な言葉、生活の言葉、温もりを感じる言葉でつづられています。著者あとがきに書かれているように、宣教地である日本では、ただ一回限りしか聖書に触れられない礼拝出席者もあるからこそ、分かりやすい主題で福音を語る(219頁)。それを講解説教として釈義をベースに語っている。これは説教塾で加藤常昭牧師が指導された「講解説教を主題的に語り主イエスを紹介する説教」を体現されている姿とも言えるでしょう。
目次にある15編の説教タイトルは全て、「○○のお方」と、主イエスを証しする表現で統一されています。これは人格的な交流を求める信仰の姿が現れています。ウェスレアンという敬虔主義の心の信仰としても、日本におけるホーリネス運動が「お方様」と神様を人格的に信じたことも背景にあるかもしれません。そのようにして、キリストの御人格に集中しながら、旧約聖書の罪の呻き、すなわち神と人との間の破れ、人と人との破れ、人と被造物との破れ(51頁)から、「時が満ちて」(マルコ1章15節)、キリストによる癒しが、十字架の恵みと愛によってもたらされている福音を物語っています。
特に人と被造物との破れは、この説教が2020年から2021年にかけて、そうこの時期は未曾有のコロナ危機で礼拝出席停止を強いられる苦渋の歩みの時に、物理的・身体的な断絶・破れのただなかで、キリストの福音による結びを語り続けた説教者魂に心打たれます。「みなさんイースターおめでとう。目の前には妻ひとりしかいません」。でもYoutubeで、CDでキリストの福音を聴きましょうと、温かく招き続けていく(76頁)。会堂に集えない状況、これでも礼拝か? 主の愛が注がれていることを御言葉によって受け止めるのだから礼拝だと語られる。これは対面が回復しても、問われ続ける礼拝者の本質に関わります。
繰り返されている「抱きしめる」という表現が特徴的です。単なる情緒的な表現ではないようです。それは破れからの結び、罪の断絶からの赦し(123頁)、聖霊の臨在を父なる神の抱きしめ(18頁)と、おそらく大頭牧師にとっては和解論的救済を意味しているようにも感じます。それが溢れ出します。「主イエスの腕に抱きしめられ、主イエスのまなざしに見つめられ…『あなたはわたしの大切な子だ』…『あなたのために何も惜しむことはしない』。イエスさまがこの私のために、自分が大嫌いだと言うこの私のために、ぐだぐだになってしまった私のために…すべてを裂かれて与えて血を流し尽くしてくださった…この愛を受け取るという、これが聖餐です…私たちはそんな風にイエスさまの胸に抱かれて初めて自分を受け入れることができる」(123〜124頁)。
もし、情熱を失い冷えた信仰にもう一度、種火を受け取りたいという渇きがある人には、手にとるべき説教集なのかもしれません。また、福音を届けたい大切な友人、若者たちの心に届く、プレゼントに適している一冊かもしれません。