限界を超えて、試行錯誤しながら「心の中の敵」と対峙する信仰生活
〈評者〉川上直哉
「日本の教会は、博物館のようです。」
米国の教会を訪問した時のことを振り返って、ある古老の牧師が語っていました。もう、数十年も昔のお話です。日本の教会を設立してくれた米国の教会を訪問し、交流し、今の日本の教会の様子を説明した時の事。日本の礼拝のプログラムを見て、米国側の方が、驚嘆の声を上げたそうです。「150年前の私たちの礼拝が、そのまま、ここに残されているのですね」と。
それから数十年が経ちました。でも、きっと、日本の教会の礼拝式次第は、あまり変わっていないように思います。もちろん例外はあるでしょうし、「コロナ」もあったのです。でも、たぶん、「博物館」の陳列品のような礼拝を、私たちは続けている可能性がある。
本書は2008年に米国アトランタで始まった新しい教会から発信されたものです。米国で2021年に出版された書物の翻訳です。「博物館」とはちょっと違う米国キリスト教の今の雰囲気を伝えてくれる本です。
著者のルイ・ギグリオ牧師は、イタリア系の米国人で、子どもの頃から大きな教会に通っていたそうです。大学・大学院と神学校で学ぶ途中、学生の「バイブル・スタディー」運動にかかわり、その運動は全米規模に広がるものとなったそうです。20世紀から21世紀に切り替わるころのことでした。
そして、2008年、著者のギグリオさんは新しい教会を始めることになります。その頃のエピソードから、本書は語り始めます。「誤解され、見捨てられ、傷ついていた。/妻のシェリーと私はすさまじい嵐の真っただ中にいた。…教会のリーダーとして最もつらい時期だった。あちこちから自分に向かって矢が飛んでくるような感じだ。…50歳にもなって、私は自分の限界を試されているかのような問題に直面したのだった。/現実のものとなった内部対立は強烈で、個人的なものでもあった。苦痛とストレスが心に居座りつけている様だった。この状態で教会をやる意味なんてあるのか。さっさとたたんでしまった方がいいのではないか、と何度も思った。」これが、本書の冒頭のことばです。
そのように現代米国で悩む等身大のクリスチャンが、「詩編23編」を手がかりに踏みとどまり、再び立ち上がる中で紡がれた言葉が、本書になっています。「正解」のない現実を前に、聖書の言葉と向き合い、自分たちの世代まで伝えられてきた基本的な理解を咀嚼しなおしながら、自分たち(つまり、現代米国人)にとってしっくりくる言葉で語りなおして行く。その積み重ねが本書でした。
著者は時に、自分たちを育てた「信仰のことば」が自分たちを苦しめていることに気づき、それを語りだします。「嫌なことが起こるたびに『サタンの仕業だ』などと思い込まないように。朝、さあこれからマイカーで出勤だ、でもエンジンがかからない、なんてときに『サタンをエンジンルームから追い出さなくちゃ』とは思わないだろう。必要なのはブースターケーブルだ。ただのバッテリー切れなのだから。」(93頁)。「教会の習慣の悪口を言いたいのではない。私だってその中で育ったのだから。でも、この『再出発』というものについて、現実をしっかり、時間をかけて検証する必要があると私はあえて言いたい。…罪を犯した後に『これから変わる』とあなたは約束する。歯ぎしりしながら神のゆるしを乞う。そして次回から変わると言う。でも、また転んでしまう。…これには大きな危険がある。『再出発』を何度も繰り返してたどり着く先は絶望だからだ。…これであまりにも多くのクリスチャンがクリスチャンをやめたくなってしまうのだ。」(108頁以下)。
宣教師から伝えられた線を墨守する限界は、もうはっきりしています。でも、急には変えられない。そんな私たちに、本書は「こんな試行錯誤もありますよ」と知らせてくれる。そんな一冊になっていたと思います。
川上直哉
かわかみ・なおや=日本基督教団 石巻栄光教会主任担任教師