読者に族長の物語を通して神の祝福を提示
〈評者〉鎌野善三
著者は私と同じ年齢ということだけで、親しみがわいてきました。読んでみると、アブラハム・イサク・ヤコブの生涯が生き生きと語られており、自分が共に礼拝に参加しているような気持ちになりました。
あとがきによると、本書は二〇一八年五月から二〇二一年一月までに月一度、仙台青葉荘教会で語られたもので、創世記二三章から五〇章が二八篇の説教にまとめられています。「講解」という書名ですが、字義的な解釈は必要最小限で、三人の族長の生涯が物語風に語られており、非常に読みやすい内容でした。さらに、新約聖書とのつながりもあちこちに言及され、聖書全体を貫くメッセージとなっていることに感銘を受けました。本書の特色は、次のような4つにまとめられると思います。
まず一つ目。多くの説教が興味深い話で始まることです。「戦後、女性と靴下は強くなった」。ブラジル移住一一〇周年。ガーファンクル作詞の「青春の旅路」。中高年の引きこもり。エンディングノート。「あれ何?」と思う間に、その章の主題に引き込まれていきます。説教の導入部がどれほど大切かを教えられました。
二つ目は、族長三人の生涯が、特に家族との関わりの中で語られていることです。もちろん神様との関係が第一なのですが、それがどう家族との関係に影響をもたらしているかが語られています。アブラハムとサラ、イサクとリベカ、ヤコブとラケル。それぞれの夫婦関係がどうであったのかに鋭い光が差し込まれます。また、ヤコブとエサウや、ヨセフと兄たちの兄弟関係の描写も興味深いものです。
三つ目は、教会員の証しが、あちこちに散りばめられていることでしょうか。本ではイニシアルで書かれていますが、この説教を聞いている教会員には、どなたのことかすぐわかると思います。族長の生涯を描く中でわかりやすい例話となり、聖書が過去の物語というだけでなく、今この時に生きている聴衆の物語となっています。
四つ目に、説教の終わりには必ずといっていいほど、イエス・キリストとの繋がりが記されています。族長たちの葛藤や苦難を通して、神の祝福が示されているのです。「アブラハムの神・イサクの神、ヤコブの神はイエス・キリストとなられ、キリストの十字架の贖いによって、わたしたちは神の子とされるのです」(二八頁)いう一文は、それを見事に表しています。
末尾に近い四八章の講解で、「創世記は、祝福の物語といえるでしょう」と著者は記しています(二二八頁)。上巻で扱われていた「産めよ、増えよ、地に満ちよ」という祝福が、アブラハム、イサク、ヤコブに代々受け継がれてきた。さらにその祝福の継承は、祭司による油注ぎという形で旧約聖書の中に流れている。そしてそれは、現在の世界にも及んでいる。本書はまさにその祝福を読者に提供しようとしているのでしょう。
巻末には付録として、「ホーリネスの群」の機関誌に寄稿された説教や証しなどが掲載されています。特に、戦争中の弾圧の歴史の叙述には心打たれました。日本キリスト教団の中にあって、ホーリネスの信仰を堅持し伝えておられる著者の姿勢に誠実さと暖かさを感じます。
鎌野善三
かまの・よしみ=西宮聖愛教会牧師