「われ信ず」と告白する「われら」の驚くべき多様性
〈評者〉大石周平
使徒信条に凝縮された、世界共通の信仰要約は、一朝一夕で現在のかたちになったわけではありませんでした。本書からその成立史を学ぶ人は、一人称単数で「われ信ず」と告白する声が、多くの証人たちの声に雲のように囲まれていたことに気づかされるはずです。
全六章からなる本書は、信仰告白が聖書的伝統だとの確認に始まります(第一章)。白眉はもちろん、使徒信条成立史の概説です(第二─四章)。その後、宗教改革時代を経て日本にまで至る受容史が見渡されます(第五─六章)。まずは、第四章末尾の「使徒信条成立史のまとめ」を読んだうえで全体に向かうと、九世紀に文言が統一され、一一世紀までに世界信条となる歴史の流れが分かりやすくなります。
本書によれば、新約時代以来の洗礼時の実践が、諸信条に展開します。紀元二─三世紀には、「信仰の基準」と呼ばれる三一の枠組をもった口伝要綱が存在しました。文言は流動的ですが一定の形式をもち、異端反駁が必要な文脈でカノン的な(正統性の物差しの)役割も果たしました。一方、使徒信条の起源については多くが不透明なままです。原型とされる「古ローマ信条」(R)の存在は、五世紀のルフィヌス『信条講解』以降でなければ証拠づけられません。キリスト教公認前後、四世紀までの間に、東方に「書かれた信条」が生まれ、教理論争の火で練られた言葉が西方でも「われら(=公会議)の信条」となりました。その頃のRに先立つ信条は、どんな文言だったのか。ヴェストラやキンツィヒといった学者の新説を紹介する本書は、その謎解きへの心躍る参与をうながす招待状でもあります。
従来、邦訳もあるケリーの学術書が信条史の権威でした。比べて格段に読みやすい一般向けの本書ですが、それでいて、使徒信条の起源に関しケリーが依拠する定説を覆す、最新の研究が踏まえられます。いわく三世紀由来とされたある写本の信憑性が疑われた結果、四世紀までの直接証言がなくなったのです。本城仰太氏が、博士課程での研究を踏まえ、牧師の実践の傍ら地道に発表を重ねられたことと併せ、日本における信条史研究に本書が果たす寄与にはきわめて大きなものがあります。
使徒がひとり一言ずつ語り遺した信条が由来だとする伝説が、人文主義者によって否定されてから五八〇年、今また聖書と使徒信条を結ぶ手がかりが、史的に厳密に批判されています。これはしかし教会にとって、多様な告白的伝統に視野を開く契機です。本書では、中世の典礼統一化以前に唱え歌われた、欧州・アフリカ・アジアの「地域信条」の豊かさも印象的でした。
なお、フォン・ラート以後の旧約学による聖書成立史の新たな知見(申二六章が「最古の信仰告白」か問われる)や、一六世紀の「三要文」理解に関わる地域別の研究動向、あるいは日本基督教団以外の教派的実践を今後加味すれば、「われら」という線引きの一人称を、さらに批判的かつ健全に吟味できるでしょう。今後の著者の研究と、学際的な共同作業に期待します。また何より教会において、使徒信条が本来の豊かさと力強さを取り戻すことに希望を得て、神と人の前に「われ信ず」と心から告白する一人でありたいと願います。
大石周平
おおいし・しゅうへい=日本キリスト教会多摩地域教会牧師/青山学院大学非常勤講師