これからの宗教改革研究に必携の書
〈評者〉森田安一
宗教改革の知的な諸起源
A・E・マクグラス著
矢内義顕、辻内宣博、平野和歌子訳
A5判・376頁・本体4800円+税・教文館
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筆者がマクグラスの翻訳書を最初に手にしたのは二〇年前のことだった。それは『宗教改革の思想』(高柳俊一訳、教文館、二〇〇〇年刊)で、その頃マクグラスは日本ではほとんど知られていなかった。その後『ジャン・カルヴァンの生涯』や『ルターの十字架の神学』など主要著書を含め三〇冊に近い翻訳書が出版された。中でも本訳書『諸起源』は高度な研究書で、参考文献表と註だけでも一〇〇頁に及んでいる。
本訳書は、後期中世の二つの大きな知的運動であるスコラ学と人文主義を詳細に追究し、宗教改革の知的起源がどこにあるかを明らかにしている。ルターの宗教改革について言えば、「後期中世思想(スコラ学)の枠組みとの根本的な断絶というよりは、むしろその内部での展開」とみる。
もちろんスコラ学は一枚岩ではなく、多様性に富み、ルターのよって立ったのは「新アウグスティヌス学派」だった。ルター神学は古いスコラ学への学問論争から生まれ、もっぱら義化(義認)の教理に向かった。
一方、ルター宗教改革と人文主義との関係はどうであろうか。人文主義は中世の知的エリート層に大きな影響力を持ち、後期中世の敬虔、神学に重要な潜在的影響を持っていたが、ルターは人文主義そのものには関心を持たなかった。彼の神学の主要な特徴はエラスムスの『校訂版新約聖書』の出版以前にすでに定まっていた。ルターは、人文主義者たちが「源泉に戻れ」の精神で編んだアウグスティヌスの作品や新約聖書を利用して、人文主義のもたらした成果を大いに利用したにすぎない。「人文主義が、ルターの神学的諸起源に決定的と言えるほどの強い影響を及ぼさなかった」と結論される。
ところが、チューリヒの宗教改革者ツヴィングリの場合はまったく異なっていた。彼は後期中世のスコラ学とはほとんど無縁で、スイス人文主義の頂点に立ち、エラスムス流の「再生するキリスト教」という人文主義のヴィジョンを追求した。義化の教理よりは「キリスト者の宗教とは、……キリストの模範に従う清い生活に他ならない」と主張した。彼の主張はエラスムスの「キリストの哲学」を思わせ、改革当初には道徳的・倫理的再生が色濃く出ていた。
このように同じ宗教改革者でも、ヴィッテンベルクとチューリヒではその歴史的、神学的な諸起源をまったく異なる思想の潮流に負っている。それは一五二九年のマールブルク会談で両者が一致できなかった理由を説明するものであろう。
本書の関心は、主としてルターとツヴィングリの宗教思想を追究し、宗教改革は後期中世のさまざまで複雑な異種混交的母体から生まれたと結論する。そして、宗教改革の基礎をなす異種混交性がさまざまな差異を持つ改革運動を各地に生んでいくことになると言う。壮大でかつ緻密な研究である本訳書は今後の宗教改革研究に必携の書となろう。
森田安一
もりた・やすかず=日本女子大学名誉教授