まず自分たちへの問いを促す
〈評者〉中村吉基

宗教活動における マイクロアグレッション
キリスト教会の日常に潜む暴力と向き合う
コディ・J・サンダース、 アンジェラ・ヤーバー著
真下弥生訳
四六判・292頁・定価2970円・新教出版社
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愛用している聖書註解書の一冊を読んでいた時のこと。同性愛者に対しての非難とも取れるような記述があった。当該箇所に対してそのような解釈は初耳だったので、しばらく呆然としたが、決して後味の良いものではなかった。執筆者にとっては「些細」な事柄だったかもしれない。他の人には何も感じない文章かもしれない。しかし同性愛者当事者の評者にとっては看過ならない記述だったのだ。
本書は教会や宗教活動(牧会)の現場において「マイクロアグレッション」(悪意のない言動により相手を傷つけてしまうこと。ただし意図して傷つける攻撃もありうる)がいかに日常的に起きていて、特に人種・性別・性別規範・性的指向に関しての少数者または周縁化された人々が受ける心的・霊的なダメージを明らかにしている。
「教会は誰に対しても開かれた場」であるといずれの教会も掲げているだろう。本書の著者は、教会を「歓迎・肯定」の場と自認することが多いものの、実際には無意識的・構造的に排除・傷つけることを多くの事例を通して指摘している。これは単なる意識付けではなく、教会の現場においての具体的実践(説教・教育・礼拝・霊性・音楽・空間・祈り・牧会ケアとカウンセリングなど)においてマイクロアグレッションを見つけ、評価し、対処するための言語・理論・ツールを提供することを目的としている。
「結婚はまだ?」「子どもはまだ作らないの?」「うちの教会にはLGBTQ+の人なんていないよね?」「外国人なのに日本のことよく知っているね」「親が他界しているんだ。かわいそう」「ふつうだったら異性を好きにならない?」「この間洗礼を受けたばかりなのによく知っているね」などの言葉は、「気にしすぎる人たち」の問題だろうか。「相手も悪気があって言っているわけではない」と言って、それでスルーしてよい問題だろうか。人を属性で見ずにその人をその人として受容できないのだろうか。
本書の中で主な論点・提案をいくつか挙げてみると、多くの場合、マイクロアグレッションは「悪意」がないまま起こるため、発言者・実践者は「そんなつもりじゃなかった」と言いがちだ(第1章)。しかし著者らはその影響(被害を受けた側の実感)に目を向けるべきだと提言する。また、自己特権の自覚:特定の人(白人・男性・シスジェンダー・異性愛者・健常者など)が“当たり前”のポジションを占めていると、その無自覚がマイクロアグレッションを生む温床になると指摘する。そして、「私たちは包摂的だ」「誰でも歓迎する」と言うだけでは不十分で、それが実際にどう“歓迎”・“肯定”されているかを質的・構造的に見直すべきだという提案がされている(第2章)。
しかし実際には言語・文化・背景・身体的状況が“標準”とされていることを振り返る機会が必要であることを教える。例として「しょうがいを抱えている方を歓迎」と言いつつ、物理的に教会堂に備えられているものが不十分だったり、説教で使われるイメージや賛美歌・語りが偏っているということがある。これまで当たり前と思っていたものが、誰かにとっては居場所を奪うものであったかどうか、どの声が聞こえていないのかを意識的に問いかけることが重要だと言う。そのことをまず自分たちから問うべく、本書はその一助を与えてくれる。












