アウグスティヌスの霊性思想の発展の軌跡
〈評者〉出村みや子
今年の六月に『アウグスティヌス著作集』(教文館)が完結したが、本書は当初より翻訳を手掛けられた金子晴勇先生が、アウグスティヌスの神学思想の発展の軌跡をその「霊性」に焦点を当てて歴史的に辿った研究の成果を一般読者にも分かりやすく説明した新書シリーズの別巻である。
「霊性」というと彼の神学思想の限られた局面に焦点を当てた研究のように聞こえるかもしれない。しかし「霊」という観念が「聖書のなかで独自な人間的な次元を創り出し」「本来的で本質的な人間存在を言い表す目印」(本書3頁)であり、自らの欲望や罪を深く見つめ続けたアウグスティヌスにとって、「回心はこのような深い内面の「霊性」を舞台にして起こった」(本書54頁)出来事である限り、「霊性」は彼の生涯にわたる人間学的探求の発展の軌跡を辿るための重要なキーワードである。
本書は序論において聖書の「霊」の概念の理解から始まり、続いてアウグスティヌスに先立って初期キリスト教の「霊性思想」を成立・発展させた二人のギリシア教父、オリゲネスとニュッサのグレゴリオスの思想史的系譜について論じている。続く本論は一〇章から成り、初期の哲学的著作から後期の主要な著作までを霊性に焦点を当てて網羅的に扱っている上に、近年アウグスティヌス研究の分野で注目されている『説教集』と『書簡集』をも霊性思想の観点から論じている。こうした本書の構成によって読者は、アウグスティヌスの思想的発展を辿りながら、その思索に見られる霊性の深まりに触れることが出来るのである。
本書において筆者が注目するのは、従来アウグスティヌスは人間の自由意志を過小評価したとして批判されてきたが、本書の172頁では『神の国』において原罪と自由、神の恩恵の理解が見られることが指摘されている。「むしろ、意志は罪を犯す喜びから解放されて、罪を犯さないことの喜びへと強く向かう時のほうが、いっそう自由である。というのも、人間が最初に正しく造られた時に与えられた時に与えられていた最初の意志の自由は、罪を犯さないことのできる能力であったが、しかしそれは罪を犯すこともできたのである。だが最後に与えられるそれは、罪を犯すことができないという点で、遥かに力あるものである。これもまた神の賜物によるのであって、人間本性の可能性によるのではない」(XXII,30)。このように述べたアウグスティヌスは「ペラギウスの人間の本性に立脚した自然主義的道徳哲学」(39頁)と対決し、恩恵論においてこそ人間の意志の完全に自由な働きを見たのである。
次に注目するのは、アウグスティヌスに先立つギリシア教父の神学的伝統との関係に光を当てている点である。この点はオリゲネス研究の最近の動向とも呼応し、彼がギリシア教父の伝統から何を継承し、その後の中世カトリック神学の形成にいかなる寄与をしたかが、本書の「序論」および「付論」の「アウグスティヌスと古代キリスト教の自然観」に示されている。本書は日本におけるアウグスティヌス研究に新たな方向を示すものとなろう。
出村みや子
でむら・みやこ=東北学院大学文学部教授