平野克己著 説教 十字架上の七つの言葉(朝岡勝)

十字架からの声が響き出る説教
〈評者〉朝岡 勝

説教 十字架上の七つの言葉
イエスの叫びに教会は建つ

平野克己著
四六判・216頁・定価1870円・キリスト新聞社
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 本書を読み終えて真っ先に心に浮かんだのは、代田教会の礼拝堂に座って説教を聴いている自分の姿でした。評者は代田教会に行ったことがありません。著者の説教を礼拝の場で聴いたこともありません。けれども本書に収められた説教を読み続けるうちに、まさに礼拝堂で説教壇から語られる肉声が聞こえてくるような思いになりました。説教集という書物の読書経験というよりも、説教集を通しての説教聴聞の経験でした。
 説教集には絶えずある種のジレンマが伴います。固有の時と場で、固有の聴き手たちに向けて語られる説教。それは一回的なものです。そこには説教者という生身の存在から発せられる声があり、説教者と会衆との対話があります。キリストの現臨される礼拝の持つ特殊な空気感です。しかしそれが書物という形になるとき、その固有性や特殊性は後退し、一般化が生じます。声は文字に転換されます。固有の時と場を想像はできても読み手の状況とは異なります。繰り返し手にして読むことができますし、一気に終わりまで読み通すこともできます。時にはパラパラ斜め読みということすら起こりえます。いっそのこと「説教と説教集は別物」と割り切ってしまう方がよいという考えもあるでしょう。
 しかし本書はそのジレンマを乗り越えた一冊です。ここに収められた説教は「2020年2月16日から4月12日まで、日本基督教団代田教会の主日礼拝において語った説教」(まえがき)とあるように、いずれも特別な固有性を帯びています。それは①「コロナパンデミックが拡大の一途に向かう中での」②「代田教会創立82周年の」③「受難節からイースターにかけての」礼拝で語られ続けたという固有性です。2月16日の礼拝出席者116名が4月12日には10名だったと記されます。コロナ禍のもとで闘う教会の姿を想像させる言葉です。こうしてひとつひとつの説教を読み進めていくと、単純な一般化を拒むほどに固有な代田教会という一つの群れの姿、その群れに向かって語る説教者の姿が浮かび上がってくるのです。
 本書が説教集のジレンマを越えて語りかけてくるのはなぜか。それは著者の黙想の広がりが読み手の現実をも包み込んでいるからです。罪の闇の深さ、生きることへの渇き、尽きることのない欲望、混沌とした社会の先行きへの不安、そして新型コロナウィルスと死への恐れ。目の前の聴き手たちを思いつつ祈りの中で思い巡した著者の言葉が、読み手の心の隅々にまで響いてきます。さらに、いずれの説教も教会への言葉として語られているがゆえに、コロナ禍のもとで散り散りのようになっている私たちも、十字架のもとに集められた教会としてこの言葉を聴くことができます。
 そして何よりの理由は、著者がひたすら十字架のキリストに集中し、十字架のもとに私たちを集めているからです。「私の願いは、七回の説教を終わり、イースターの朝を迎え、皆さんがこの十字架を仰いだとき、(中略)この十字架から声が鮮やかに響き出すようになることです」(43頁。81頁や84頁も参照)。この願いはこの説教集においても果たされたと思います。少なくとも評者にとってはそうです。十字架の上から語られるキリスト、死からよみがえられて語られるキリストの福音の言葉を聴くことのできる幸いを感謝します。説教の言葉と見事に呼応する井上直さんの挿画とともに、今年の受難節に同伴する一書として心からお勧めします。

書き手
朝岡勝

あさおか・まさる=東京キリスト教学園理事長・学園長、市原平安教会牧師

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