現代世界の喫緊の課題を聖書から徹底的に論じる注目作
〈評者〉小友 聡
「和解」は、喫緊の思想的課題である。ウクライナ危機、ガザ紛争、米国社会の分断など、現代において「和解」が切望されている。この和解についてそもそも聖書がどう語り、何を教えるかを私たちは知らなければならない。この主題をめぐり、聖書学者が中心になって編まれた論文集が本書である。青山学院大学総合研究所が5年がかりで研究を重ねた共同プロジェクトがこのたび書籍化された。
7名の聖書学者・神学者の寄稿によって本書は編まれている。それぞれ「和解」という思想を聖書から深く読み取り、徹底的に論じている。聖書学の学術論文集ではあるが、「和解」という主題が現代的な射程を有しているだけに、聖書学や聖書神学の知見だけではなく、聖書における和解の今日的意義について読者は深く学ぶことができる。
本書は3部構成。第1部は神学、第2部は旧約聖書学の知見からの和解、第3部は新約聖書学の知見からの和解、である。多元的、多声的な文脈で聖書の「和解」を理解しようという見通しから全体が組み立てられている。
内容を簡単に紹介しよう。第1部では、藤原淳賀氏によって、聖書的和解の神学的位置づけが本書の導入として総論的に論じられる。
第2部では、左近豊氏が旧約聖書の和解を概説するのみならず、預言書と諸書について和解を論じている。そこでは、和解概念が捕囚期という背景において、哀歌と第二イザヤのテクスト比較から読み解かれる。律法の和解については、藤田潤一郎氏が創世記20章を詳論する。注目に値するのは、米国の旧約学者ブルッゲマンと左近氏が対談形式で旧約の和解について意見を交わすことである。
第3部では、河野克也氏がパウロの和解理解をめぐって聖書神学的な考察をしたあと、浅野淳博氏と辻学氏がそれぞれパウロの和解について緻密で学術的な議論を展開する。第2コリント5・16~21とローマ8・18~25の「和解」理解の相違について浅野氏と辻氏の解釈の違いが実に面白い。また、大宮謙氏は福音書における和解を興味深く論じる。その上で、河野氏は浅野氏、辻氏、大宮氏の議論を交通整理し、パウロの和解理解の射程と課題について論じている。おしまいに、藤原氏が聖書的和解を世界史的、教会史的視野から総括する。
以上が、本書の内容である。個々の論考は一級の聖書学者/神学者によって執筆され、聖書の和解概念と和解の思想的射程について基礎的研究成果を提示している。
評者が特に引き込まれて読んだのは、河野氏が本書11章で、新約聖書学者たちが反ユダヤ主義に加担してきた歴史と、それを克服するための道筋を説いていることである。キリスト教徒とユダヤ教徒の「和解」を促進するために、聖書学が果たす役割が大きいことを評者は教わった。
もう一つ、碩学ブルッゲマンの発言は意味を持っている。モーセ契約とダビデ王権の緊張関係が旧約聖書全体を貫くと指摘される。そもそも契約は旧約聖書の歴史的・神学的土台であり、神と民との関係における「和解」が絶対的な中心基盤であった。この契約概念の一貫性は旧約のみならず新約にも及ぶ。その目的はシャロームである。本書を読んで、聖書的和解を通観できることに気づかされた。