「この聖句はあの人に」と隣人に思いを馳せてみよう
〈評者〉横山ゆずり
「聖書からの贈り物」。思わずこの言葉に目が留まりました。「贈り物」という言葉に魅かれたからです。「これはあなたへの贈り物」と言われれば、期待をこめて手に取ってみたくなります。そんな魅力的な題がつけられたこの一冊から贈られてくるのは何でしょうか。
贈り物には贈る側と受け取る側がいますが、編者のお一人である丹治めぐみさんは、まずこの本を手にとる読み手が「聖書からの贈り物」受け取ることを願います。読み手が贈り手になる前に聖書の言葉によって助けられること、必要な言葉と出会うための聖句集だと語ります。確かにこの本を読み始めると、聖書からの贈り物を最初に受け取るのは〈わたし〉なのだということに気づきます。
この聖句集は贈り手がふさわしい聖句を選ぶことができるよう願って編まれ、「人生の節目やさまざまなシチュエーション別に選ぶときに役立つ聖句集」です。「祝福」「励まし」「慰め」を各章とし、さらに章ごとにショートメッセージがあるのも特筆すべき点です。実はこのメッセージには、聖句を通して「祝福」「励まし」「慰め」を贈ろうとする者の心を柔らかく深く耕す言葉がちりばめられており、聖句のもつ豊かさへといざないます。これも贈り物です。
三つの章それぞれには贈り先をより具体的に思い描けるよう言葉が添えられているのも助かります。たとえば「励ましをおくる」の項目「就職・転職」では「大海へ漕ぎ出す人へ」、「送別・退職」は「新たな道を行く人へ」と。大きな転機にある相手をよりイメージしやすい工夫です。
そして最後の章「慰めをおくる」では、特に「不安」と「苦難・試練」の項目が他に抜きん出て聖句数が多く、旧約聖書からの引用が多いことに気づかされます。旧約聖書学専門の編者左近豊牧師が言われる聖書そのものが「旧約聖書以来数千年にわたって、人々の波乱に満ちた生活や人生の紆余曲折、社会の栄枯盛衰……馴染みない環境に漂うことを余儀なくされた中で紡ぎ出され、編み上げられてきた言葉が刻まれて」おり、「喜びも悲しみも、健やかなときも病むときも、……思いを言葉にし、……大事に受け渡してきた……宝箱」だからこそ、「慰めをおくる」場面においてその本領が発揮されるのです。
本書中の聖句は約280ですが、編者お二人が膨大な聖句から言葉を選ぶ作業には苦労なさったのではないでしょうか。選ばれた聖句が「文脈から切り離され」、それでもなお短い言葉が本来の意味たり得るのかという心配を受けとめつつ、祈りをもって選び出された聖書の言葉を、左近牧師は「あたかも岬に立つ灯台に例えて」おられます。人の歩みが人生という海原に漕ぎ出す舟であり、「(み言葉は)私の足の灯 私の道の光」(詩編119・105)とあるように、その船舶と船乗りたちを導く光に例えておられます。
最後に「誰かの心の片隅に刻まれて、いつの日か、……プレゼントになる言葉」を届けるため、聖句を携え受け渡す日に備えたいものです。「この聖句はあの人に」と隣人に思いを馳せる時が与えられたからです。聖書の言葉が隣人を指し示す光であることをあらためて教えられました。この本を手に取ってくださる方が贈り物である聖書の言葉とたくさん出会えますようにと心から願ってやみません。