観想の祈りへの良質で実践的な招き
〈評者〉柳田敏洋
この本はキリスト教の観想の実践へのとても深みのあるガイドブックです。
著者のマーティン・レアードは、アウグスチノ会に所属する司祭であり、初期キリスト教研究を専門とする神学者で米国のビラノバ大学で教えながら、観想指導者として活躍しています。
現在、世界ではマインドフルネス瞑想が広く知られるようになっていますが、著者はあくまでもキリスト教霊性の伝統の中で観想の祈りをガイドします。具体的な方法を紹介し、様々な問題への対処方法も示してくれます。私はキリスト教的ヴィパッサナー瞑想を専門的に指導していますが、レアードの観想への道は私自身の瞑想体験ととても重なることを読んでいて感じました。
「私たちは観想する者として造られています」というのが著者の根本的な立場です。観想とは「心の静寂のうちに神と交わること」であり「神から私たちに与えられた能力」なのです。その能力で目指すのは内的「静寂」です。
神は私たちのふるさとであり、そこにある「内なる聖性」は獲得するものではなく、「発見」するものです。この発見の道が観想であり、心に「深く根付いた抵抗を放棄する」ことが鍵となります。この道を著者はキリスト教霊性の先達、砂漠の教父やアウグスティヌス、中世イギリスの『不可知の雲』、マイスター・エックハルト、十字架のヨハネやアビラのテレサらからの引用を交えて説明します。
静寂へ至る方法が〈気づき〉です。レアードは、私たち自身が〈気づき〉という山であり、思考や感情は山のまわりに生じる天気のようなものだとずばり本質を述べます。実践的な方法として姿勢と呼吸、また祈りの言葉の大切さが説明され、特に瞑想中に生じる雑念への対処に、呼吸に集中し、「短いフレーズ」の祈りの言葉、「父」、「神」、「アッバ」などを唱える方法が紹介されます。
本書の中心は第四章です。「静寂の地」へと向かう観想の旅を三つの入り口で説明しますが、それぞれは関門のようなもので、〈今という瞬間〉に心を向ける「愛を込めた注意」が常に必要です。
第一の入り口は、観想を妨げる厄介な思考に対し「祈りの言葉」を用いることです。思考に気づいて祈りの言葉に戻る「内なる監視」により心を静めていきます。第二の入り口は祈りの言葉と〈気づき〉が一つになることです。それは思考にしがみつかず、受け入れることと手放すことが一つとなる境地です。つまり、静寂と共にある祈りの言葉となります。第三の入り口は〈ただあること〉で静寂にとどまることです。ここでは思考にとらわれず、祈りの言葉も手放し、注意力を「気づいていること自体に移行」します。ここを抜けたところが「輝ける広漠さ」と表現される根源的静寂の場で、「自己ならざる自己」に開かれ「心の静寂のうちに神と交わる」観想の世界です。
著者は、観想を阻む雑念、怖れや痛み、渇望や誘惑も取りあげ、いずれも自分自身が〈気づき〉であると気づくことが助けとなることを示します。
本書は瞑想や観想の経験なしには理解の難しいところもありますが、始めた人や経験者向けには素晴らしいガイドブックであり、訳者による丁寧な注釈も助けとなります。













