過去百年の最も重要な神学的ドキュメント
〈評者〉佐藤司郎
待望のボンヘッファー『倫理』の新訳が宮田光雄先生と四人の共訳者によって刊行の運びに至ったこと、慶賀にたえません。
何より今回の新訳は、たんに新しく訳し直されたというのではなくて、ドイツ語版全集第六巻(一九九二年)の第二版(一九九八年)を定本としていて、これによってわれわれは『倫理』の現時点での最終的な本文を前にしていることになります。
ディートリヒ・ボンヘッファー(1906-1945)はよく知られているようにドイツの神学者で、やがて反ナチ抵抗運動に加わり、逮捕され、二年の獄中生活をへて、一九四五年四月九日、フロッセンビュルク強制収容所で三九歳で殉教したキリスト者です。『倫理』は軍部の抵抗運動に深く関わりはじめた一九四〇年夏頃から四三年四月五日ベルリンの両親の家で逮捕されるまで、告白教会の一員としてまた国防軍諜報部員して活動する中、断続的に書き記されたものです。逮捕されたとき机上には、偽装のため散らかされた資料とともに『倫理』の一部も置かれていました。しかし草稿の多くが秘匿されていて、今日われわれが彼の『倫理』を手にすることができるのは、ひとえにボンヘッファーの弟子であり友人であったベートゲのおかげです。『倫理』は未完ながら「ライフワーク」であり、過去百年を振り返ってもっとも重要な神学的ドキュメントと言って過言ではありません。
『倫理』がはじめて出版されたのは戦後まもない一九四九年、その後諸論稿が新しく配列し直されて出版されたのは一九六三年(第六版)でした。八〇年代に入り、『倫理』のテキスト、とくに構成の問題をめぐって問題提起がなされ、研究も新たな段階を迎えることになります。
今回新訳が依拠した全集版の特長は、ある種の解釈理論にしたがって配列することを止め、一〇〇近くある草稿等の客観的特徴の比較研究により成立時期を特定し、厳密に成立順に配列したことです。その結果、新訳の最初の章は「キリスト・現実・善」となり、ベートゲなどが早くから指摘していたこの章の基礎的重要性は形式的にも明らかになったと言っていいかも知れません。究極的な現実とはキリストにおいて啓示された神の現実であり、それを受けとめ応答するわれわれの思考と生き方がつねに問われている、これがボンヘッファーの神学的思惟の基礎であることを改めて認識したところです。一九四〇年夏、彼が当面しつつあった嵐を孕む現実の厳しさを前に、しかし落ち着いてしっかり考え抜かれている一行一行に、感銘を深くしました。
本書の「編集者まえがき」(代表イルゼ・テート)も「年表」や「各版の草稿対照表」もきわめて有用です。それ以上に、編集者共同執筆による「編集者あとがき」、そして宮田光雄先生による「訳者解説」は、ボンヘッファー神学へのすぐれた手引きとなっています。これらを参考に本書を読み進めながら、二一世紀も四分の一を経過しますます混迷を深くする時代の中で〈何が神の意志であるのか〉問いつづける責任が、われわれにも課せられているように思います。