みことばに生かされた人生の総決算の書
〈評者〉坂井純人
一キリスト者の生涯の中で詩篇の中でも最長の119篇から、全節を連続講解説教で聴く機会は、そう多くはないのではないだろうか。牧師としても相当の覚悟と準備が必要である。今年78歳になられる著者は、ご自身の長年の伝道者としての歩みの総決算としての慰めを、詩篇119篇から得ておられる。本書はアクロスティックの手法で知られるヘブライ語の22のアルファベットによる分類と8行ごとのみことばの解説を19章に分けて、実に見事に簡潔な内容に纏めている(サメク・113節─120節とツァーデ・137節─144節は略)。
本書執筆の動機を著者は、1、神のみことばへの信仰の徹底。2、真の福音がもたらす、みことばに生きる喜びを回復すること。3、現代人の傷つき、病む心の中に潜む病理をみことばによって、回復に導く道を示すこと、と明示する。詩篇119篇の中には、これらのすべての要素が含まれている。
特に、第二の点は、著者の中に息づく、改革派信仰における福音と律法の関係理解が明瞭である。救いに至る道はただ、キリストの贖いの御業のみである。同時に、キリストに結ばれた新しい人の人生は、「キリストによって、心から神を喜ぶこと、そして、神の御旨に従ったあらゆる善き業に心を打ちこんで生きる」(「ハイデルベルク信仰問答問90の答」)。この応答の生活もただ、キリストの故に受け入れられる。「信仰者の人格そのものがキリストを通して受け入れられているので、彼らの善き業もまた、キリストにおいて、受け入れられる。中略」(「ウェストミンスター信仰告白第16章6節抜粋」)。そこには、功績主義も律法主義も、逆の無律法主義も入る余地がなく、ただ、福音の喜びと神の恩恵への賛美が響いている。キリストによって魂を生き返らされ、心の奥底を照らし出す光に向かって、身を傾けて生きる詩人の信仰の姿勢が、そのまま、著者の筆跡と重なってくる。主のみことばに従わせてください、と祈る心こそ、真の回心のしるしであり、この祈りをとりなすキリストがくださる恵みの下に立つ心である。
みことばそのものに聴き、みことばからの光が、心に差し込む時に、神から来る喜びと神を賛美する歌声が唇に湧き上がる。信仰者の切なる思い、叫び、嘆き、祈り、賛美のすべてをとりなす、メシアの到来を待ち望む思いへとこの詩篇によって導かれる。最後の176節の告白「私は、滅びる羊のようにさまよっています。どうかこのしもべを捜してください。私はあなたの仰せを忘れません」との祈りは、今、十字架により、罪と死の力を打ち破られた、甦りのキリスト、大牧者によって、聴かれている。さらに、聖霊とみことばを通して、救いの完成に導くキリストとの結合の喜びに満たされた神賛美の生活へと導いてくださる。
文字通り、みことばの戸が開くと、差し込む光の中を全生活が照らされる喜びの中へと詩篇119篇は導いてくれる。本書を手引として、詩篇119篇のみことばの深みに返り、黙想を通して、みことばの理解と適用を豊かにされる。個人のディボーションや聖書研究会で、また、悩みの中で、詩篇119篇に聴く時に、聖書的カウンセリングをも専門とされる著者の真摯な呼びかけは、読者の心に、みことばの光に照らされつつ、共に歩む温かさを感じさせてくれるだろう。
坂井純人
さかい・すみと=日本キリスト改革長老教会東須磨教会牧師、日本福音主義神学会西部部会理事長、神戸神学館教師