小高夏期自由大学の報告─再生への道を求め
〈評者〉荒川朋子
「小高(おだか)」とは、2011年の東日本大震災による地震と津波の被害を受け、さらに原発事故の影響で全住民に避難指示が出され5年間無人となった福島県南相馬市小高区のことである。この本は、昨年9月に3日間に亘ってその小高で開催され、延べ145名が参加した小高夏期自由大学の記録だ。その趣旨は「小高復興の現在地を知り、脱原発と平和への道筋を描きつつ、内外との交流を深める」ことだ。3部構成から成ったプログラムの第1部、第2部は、計7名の小高に関わりを持つパネラーたちがそれぞれの「あの日」(3月11日)と、「あの日」から12年間の長い道のりを、そこに生き、そこに足跡を刻んできた者でしか語れない言葉で語った。特に第2部では、Uターンや移住によって小高の再生を新しい試みで作っていこうとする若い世代の言葉から、彼ら、彼女らのしなやかさや、マイナスから何かを生み出す創造力、感性、そして実行力に希望を感じた。
第3部は、福島県出身の高橋哲哉東京大学名誉教授による講演の記録で、「犠牲のシステム」の中にある福島の実態と、世界から見た“フクシマ”を踏まえた上で、「脱原発と平和への道筋」をどう描くべきかの問いが突き付けられている。また高橋氏は、放射線が「人々の自身の生の根底を成してきた〈倫理〉を破壊した」ことで福島の人々が負った「倫理的な傷」について言及し、福島の問題が「科学」や「事実」だけで終わらせることのできない位相を持つことを説明した。福島の問題の特異性と複雑性を理解する上で重要な指摘だと感じた。
なぜ小高夏期自由大学が145名もの人を集めたのか。それは、その開催の約1年前から定期的に行われていた住民の交流の場の「総集約としての意味」を持つからであったと思うが、同時に私は、理解しがたい数々の現実を前に、簡単には言葉にできない思いと、それでもそれでしか伝えられないからこそ絞り出され、語られる真実の言葉がそこにあったからだと思う。「内外」から集まった人々が参加し、自由に交流することによって、そこにその時点でのそれぞれの「受け止め」が生まれ、その「受け止め」はまた別の人の「受け止め」と出会い、響き合って、そこから新しいものが生まれたり、力を得たりして、様々な(多くはポジティブな)相互作用が起きる予感を多くの人が持ったからだと思う。それは3日目の分科会で上がった様々な声を最終的に8つの提言にまとめ上げ、行政に提出したというモーメンタムからもうかがえる。(筆者は今年9月に行われた第2回小高夏期自由大学でもその空気を感じてきたところだ。)
小高夏期自由大学の開催は、現地事務局としてその場を用意したひとりの牧師の存在なしには語れない。「あの日」以来、小高に隣接する浪江では、草に覆われてドアを閉ざしていた日本基督教団浪江伝道所に、東京からひとり足を踏み入れ、一昨年4月から礼拝を再開し、また小高では、すでに開いていた教会の扉を開け続けている飯島信牧師の、浪江の、そして小高の人々の生活を見守る優しいまなざしと、全ての「声」を尊重する深い思いに、心から敬服いたします。
荒川朋子
あらかわ・ともこ=アジア学院校長