心貧しい人に語りかける真実のメッセージ
〈評者〉英隆一朗
人の中には、強い人と弱い人の二種類の人がいる。強い人とは、信仰が深く、隣人愛を実践していて、さらに、人格的に立派で、人びとの模範になるような生き方をしている人だ。そういう人は言動一致しているので、語る言葉に説得力がある。それに対して、弱い人びとも教会の中にたくさんおられる。内面に葛藤をかかえ、実生活がうまくいかず、挫折と失敗の連続。それにもかかわらず、神に頼って、信仰を生きようとしている人だ。不思議なことに、言動の不一致にもかかわらず、弱い人の語る正直な言葉は胸に突き刺さるものがある。
この本の著者、ブレナン・マニングはまさに弱い人の典型である。彼の本の邦訳は初めてだが、アメリカ合衆国では、とても有名な霊的著作家の一人である。彼はカトリックのフランシスコ修道会に入会して、修道者となり司祭となった。ところが、アルコール依存症を患っており、生涯苦しんでいた。また、カトリック司祭を辞め、一人の女性と結婚する。しかしながら、離婚してしまう。カトリック教会から見て、還俗と離婚は落伍者の烙印が押されることだ。アルコールの過度の摂取が死因の一つと見られている。
彼は心底、弱い人であり、それを包み隠さず語っていた。この本のタイトルどおり心の貧しい人(ragamuffin)であった。だからこそ、彼のメッセージは弱い人びとの心の琴線に触れ、共感と励ましを呼び起こすのだ。
今回の翻訳は、彼の諸著作の中から、三六六日の毎日の黙想用にまとめたものだ。前後に特に脈絡はないが、キリスト教の季節感は感じられる配分になっている(十二月はクリスマス、三月はレント、四月はイースターという風に)。その日の分を読んでもよいし、自分に合いそうなところを適当に読み、みことばを黙想することができる。
彼のテーマをまとめるのは難しいが、あえて概括すると、まず弱い自分を受け入れること、そして、神であるイエス・キリストを受け入れることである。マニングのメッセージは、他者に語られているようで、実は自分に語っているようにも読める。語り続けないと、自分がつぶされてしまうのだろう。同じテーマを角度を変えて、何回も語ってくれる。いかに弱い自分を受け入れるか、自分をそのままで愛してくれる神を信じられるかである。神を受動的に受け入れるというよりも、苦しみの中でイエス・キリストに対する激しい愛を表明している。イエス・キリストがおられるからこそ、生活が破綻しながら、信仰生活を歩み続けられたのである。
だからこそ、この本は弱い人にこそ読んでもらいたい。生きづらさをかかえている人、自分の価値を認められない人、そして、神を信じ切れない人にこそ、この本を手に取り、自分事として、みことばを黙想してほしい。よき知らせはいつも心貧しき者(アナウィム)に届けられるから。
英隆一朗
はなふさ・りゅういちろう=カトリックイエズス会員、カトリック六甲教会主任司祭