自律から協働律へ
〈評者〉関川祐一郎
本書は「『共生の』神秘」と題し、「キリストとの共生」に焦点を当ててキリスト教神秘主義を論じるものである。新約聖書の時代から近代に至るまで、キリスト教神秘思想がいかに受容され、発展してきたか、その歴史的展開が簡潔に示されている。
本書では、時代に沿って約40名の神秘主義者たちが取り上げられており、節ごとに人物の紹介と思想の特色が簡潔にまとめられている。そのため、人物と思想の特徴が立体的に把握でき、全体としてきわめて読みやすい。
金子晴勇氏は本書冒頭で次のように述べる。「わたしたちが問題にする神秘思想は、あくまでもキリストとの交わりと一体感から生まれる人格的な神秘主義であって、これはキリストに対する信仰から起こってくる事態です」(8頁)。金子氏はここで、キリストとの交わりと一体感から生じる人格的神秘主義を強調する。それはキリストとの共生による「同形化」を意味し、このことこそが「わたしたちの生命であり、生きる源泉」であると述べる(8頁)。
では、今この時代に「キリストとの共生」を語る意味は何か。本書のあとがきに触れると、その目的がより明確となる。金子氏は「敗戦後80年を経て、多くの人々が『自律』して行動するように努めてきた。しかし、自律がいつの間にか『自己主張』に変質してしまった」とした上で、「『自律』だけで良いのかと反省するようになった」(244頁)と記す。
戦後80年を経て、「自律」から「協働律」・「共生」への転換の重要性を著者自身が強く感じているのである。この問題意識のもとで本書を読み進めるとき、キリスト教思想史に一貫して流れる一本の線が浮かび上がる。それが「キリストとの共生の神秘」である。さらに金子氏は、今日的課題として「自律」から「協働律」へと生き方を根底から転換する必要性を示している。
キリスト教神秘主義者に共通するのは、キリストにあって神と合一するというテーマである。それはパウロ以来の「キリストにある」という特徴を受け継ぎ、ベルナールに始まる「花嫁─神秘主義」へと発展し、宗教改革者たちにも少なからぬ影響を与えた。金子氏は、特にルターにおいて「共生の神秘」が展開され、神秘的合一が「キリスト─神秘主義」という性格規定を根本から受けていると指摘する。ルターの神秘思想は、信仰によるキリストとの交わりに基礎づけられ「自己に死し、他者の生命に生きる」信仰に立つ思想として一貫して説かれている(122頁)。さらに、この神秘思想は、近代日本の教会を導いた牧師たちにも確かに流れ込んでいる。金子氏は、植村正久の説教の特質として、彼が「共生の神秘」を志向したことを強調する。また植村自身「近代人が主我性、すなわち自己主張欲に陥る危機を洞察していた」と述べ、「現代人は自我の肥大化によって神の姿を見失い、超越的力を見失って良心が弱体化し、消失する」(203頁)と警告している。この指摘は、戦後80年を経てきた著者自身の問題意識とも深く響き合う。
本書を通してキリスト教神秘主義の発展史をたどることで、読者は自らの信仰を省みる視点を与えられ、キリストと共に生きる喜びへと招かれるだろう。信仰と学びが響き合う書として、多くの読者に薦めたい一冊である。















