文化の枠を超えた全人的な教育への指針
〈評者〉川村信三
[羅和対訳]イエズス会の規範となる学習体系(一五九九年版)
ロバート・キエサ訳・注解
髙祖敏明、梶山義夫翻訳協力
A5判・316頁・定価4950円・教文館
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「もしもこの地上のどこかに学識ある人がいるとするなら、この学校にいるはずだ」(久保田静訳)。これは近代哲学の祖といわれるルネ・デカルトが青年時代をすごしたイエズス会学校について語った言葉である。その名はラ・フレーシュ学院。一六〇四年にさかのぼるフランスの名門校である。イエズス会学校としては他にルイ・ル・グラン学院と改称されたクレルモン学院(一五六三年創設)が有名で、卒業生にはヴォルテール、モリエール、ユーゴー、サルトルらが名をつらねている。一七世紀にこれらの学校の「学生手帳」は宮廷の礼儀作法書として採用されていたという話もある。バロック演劇史ではかならず「イエズス会(学校)演劇」が数ページを割かれるほどの盛況であった。
一五四〇年、教皇パウルス三世により認可されたイエズス会は、大航海時代の世界宣教に大きな足跡をのこしたことで知られるが、そのなかでも「学校教育」において大きな成功を獲得した。フランスの例ばかりでなく、ヨーロッパの中等教育分野でイエズス会の果たした役割はきわめて重要なもので、中世のスコラ学(パリ大学を中心とする伝統)とルネサンス・人文主義時代の新しい学問方法論と教育方法をハイブリッド的にとりいれて、近代学校の先駆の一つとなった。その教育理念は、一六世紀末に、わずかではあるが、アレッサンドロ・ヴァリニャーノによって日本にももたらされた。
一五四七年、はじめての学校をシチリアのメッシーナで創設して以来、五〇〇年。現在、七三カ国一六一一の教育機関がイエズス会の運営になり、これまで約一五八万人以上の卒業生を世に送りだした。わが国では上智大学をはじめとする教育機関(栄光学園、六甲学院、広島学院、上智福岡など)がそのイエズス会学校の系譜に連なる。
今回初の邦訳刊行となった『イエズス会の規範となる学習体系』(一五九九年版)、いわゆる『イエズス会学事規定』は、国際的で多岐にわたる文化の枠を越えて、イエズス会の目指す共通の教育方針を簡潔にしめしたものであり、イエズス会版「学習指導要領」とでもいえるものである。ただ教科内容が羅列されているのではない。青少年の個々の発達に合わせた、しかも生徒の共同体の在り方にまでおよぶ全人的教育への指針となっている。さらに、近代教育ではあたりまえとなったドリル・反復、昇級テスト、チュートリアルなどの方法が具体的に示されている。その目標は、単に知識を獲得するというよりは、「判断力」のすぐれた人を育てることであった。新しい時代に突入し、より学徳すぐれた人材をもとめていた社会に、一つの方法論的解決をあたえたことはまちがいない。
訳者であるキエサ神父は、長く日本のイエズス会学校で教鞭をとられた教育のエキスパートである。母国語の英語ばかりでなく、宣教師として長年学んだ日本語および自ら体験されたイエズス会学校教育の成果であるラテン語にも通じた方である。まさに、本テキストを日本語に訳するための最良の人材である。ラテン語の規則集からうける固い印象とはちがい、美しくこなれた日本語の言い回しから、イエズス会とは何かを知り、そしてその背景に、青少年教育への強い意欲を読み取ることができる。
川村信三
かわむら・しんぞう=上智大学教授