現代における聖書的説教のモデル
〈評者〉岩上敬人
本書は、N・T・ライトの講解説教集と呼ぶべき著作です。また聖書的説教を目指す全ての説教者の教科書であり、ライトが英国国教会の現場でどのような説教を語っているのかを知る貴重な書籍でもあります。第一部「イエスを見つめながら」の六章はライトがリッチーフィールド大聖堂の司教として奉仕をしていた時期(一九九四─九九年)に、大聖堂に集う会衆に語った説教の中から収録したものです。ライトによれば、これらは聖餐式を執り行う礼拝での説教であり、聖餐式に備える目的があったことが書かれています。第二部「生きた犠牲」の六章はさまざまな大学や大聖堂での説教を収録したものです。
すでに日本でもいくつかのライトの著作が邦訳されていますが、ライトは研究書から児童向けに至るまで、実に多岐にわたる膨大な数の著作を執筆しています。本書は彼が専門とする新約聖書学の研究書ではありませんが、ライトの聖書理解と様々なテキストの解釈、神学的統合の結晶とも言えるものでしょう。教会の会衆(クリスチャンや一般の人たち)や大学(院)生に語った、聖書の平易な解説であり、一九九〇年代の英国、欧州、西側世界の問題をどのように聖書から理解し、適用できるのかを示しています。そして本書全体を貫くテーマは、この世界にあって、弟子として生きること、イエスに従うとはどのような生き方なのかを問うことです。
第一部の大きな特徴は、数節からなる引照箇所からの説教ではなく、中心的な聖句はあるものの、著者がその書全体を通して語ろうとするメッセージを解説し、語っていることです。そこには新約聖書研究者としての綿密な文学的、修辞学的分析と丁寧な解釈の積み重ねという確たる土台があります。その意味で本書は、ライトのような優れた新約聖書研究者だからこそ語ることができる内容となっているのです。第一部ではヘブライ人への手紙、コロサイの信徒への手紙、マタイによる福音書、ヨハネによる福音書、マルコによる福音書、ヨハネの黙示録のメッセージが語られています。それぞれの書の中核を成す神学的メッセージが平易な言葉で、しかも聴衆が日々向き合っている現実世界の諸問題と結び付けられながら語られています。
第二部では、主イエスの弟子である私たちが日常的に直面する「恐れ」について、死者を復活させる神の力により「恐れるな」と励まし(七章)、罪という暗闇の諸力に対して「新しい心」が与えられていることを指し示し(八章)、私たちの日々直面する「誘惑」について聖書的な光を与えています(九章)。最後の三つの章は私たちの将来にある「地獄」(十章)、「天国」(十一章)、「新しいいのち」(十二章)に目を向けさせてくれています。こうして私たちは、主イエスの弟子としてこの世界でいかに生きるのか、聖書からの指針を見いだすのです。
N・T・ライトの英語は時に難解な箇所があり、翻訳者泣かせの文章も多々あるのですが、本多峰子氏が、平易で頭にすっと入ってくる日本語に翻訳をしてくださいました。私たちは、本多氏の優れた翻訳を通して、言語の違いを超えて、ライトの思想の深みに触れることができるのです。