私に注がれた「まなざし」を感じる本
〈評者〉大石周平
「説教」終えて日が暮れて、今、日曜の夜長にこの本をむさぼるように読み終えました。礼拝後、夕方まで続いた会議のなかで、「先生の説教は、長くてカタくて消化不良になる」と言われてしまった後のこと。ずきんとうずく心の奥を見透かすような、表紙帯の言葉に目が留まりました。
「説教のない世界に今、旅立とう!」
思わず覚える共感。それにいくらか後ろめたさをも感じながら、本の扉を開きます。すると早速、溜め息まじりの引用句が、今夜の自分と重なりました。
「……今日モ失敗セリ……予ハ話ガ下手ナリ……」
そう力なく書きつけられた『柏木義円日記』の引用に始まる本書は、「説教者」を鼓舞して教え、奮起させる類の書物とは違います。「伝道者」に向けた本でありながら、その職責を問うよりも、務めに押し潰されそうな者を一人の弱い「人間」と認める等身大のまなざしが印象的です。そのため、教会のリーダーに限らず、誰が読んでも、直接心のひだに触れる言葉に出会える本です。
本書は前・後編に分けられます。前編は、各出版物に公表されていた論考集で、著者いわく「スーツを着た私の言葉」。著者が実践してこられたキャンパス伝道の指針や、教会学校での子どもとの向き合い方、コロナ禍の経験を経ての礼拝のあり方など、具体的な提言もあります。特に心に残ったのは、大人にも子どもにも「弱さ」という共通の地下水がある、という言葉です。弱さは世界の共通言語、とも。この水脈から汲み出さず、この共通言語を用いないとき、私の説教は頭ごなしになったり無駄に気負ったり、「消化」しづらくなってしまうと気づかされました。同時に、共に弱さを認め合うことから始められることに、深い安堵を覚えました。
後編は、ほぼ書き下ろしの「飲み食いしながらの言葉」。「金曜日の焦燥」と題された章から始まり、「土曜日の憂鬱」「日曜日の混乱」「月曜日の復活」「火・水・木曜日の道草」に至るまで、著者自身の体験を踏まえ、失敗談さえ交えながら、日常に寄り添い語りかけてくれます。
本書の印象を一言で表すなら「『まなざし』を感じる本」です。著者自身、先達のまなざしを意識してまとめたと記しておられますし、信徒や教え子、愛犬とのやりとりなど、豊かな交わりの関係をも振り返っておられます。孤独な夜に本書を読むと、自分もまた、多くのまなざしに触れ、見つめ返して視野を広げられ、生かされてきたことを思い出します。この腕に抱かれた赤ちゃんから、戦争の悲惨を知る先達、今は亡き恩師たちまで。ジェンダーの多様性・生の豊かさを教えてくれた人、敵対した相手、命を尽くして愛する姿勢を示してくれた人……。その二人または三人のまなざしが交差する場に、キリストの深いまなざしが注がれていたことを、本書は個人的な筆致をとおして、普遍的な信実として確認させてくれました。
今夜ゆっくり休んだら、この方やあの方と共に、新しくされた朝を迎えたい。日曜日に復活されたイエスにはちょっと遅れてしまいますが、私にも「月曜日の復活」が備えられていると思わされ、とても嬉しくなりました。
大石周平
おおいし・しゅうへい=日本キリスト教会多摩地域教会牧師/青山学院大学非常勤講師