弟子の手による内村鑑三の〈自伝〉
〈評者〉赤江達也
本書は、斎藤宗次郎(一八七七─一九六八)による未刊行の自筆原稿「内村鑑三先生之足跡」全六巻(一九五七年)の復刻版である。その画像データを収めたDVDと、解説などを収録した冊子からなる。
斎藤宗次郎は、内村鑑三(一八六一─一九三〇)の弟子の無教会キリスト者である。斎藤は日露戦争に際して徴兵拒否を企て、内村に止められたことで知られている(花巻非戦論事件)。また、文学者・宮沢賢治(一八九六─一九三三)との交友でも知られる。
ここに復刻された「内村鑑三先生之足跡」は、内容的には、斎藤宗次郎による内村鑑三の伝記である。六九年にわたる内村の生涯が、一四七三ページ(画像データでは一五九六枚)にわたって克明に記録されている。
ただし、その記述のほとんどは、内村が書いた文章の〈つぎはぎ〉によって成り立っている。そしてその記述の一人称(余・私)は、内村を意味している。つまり、この伝記は、内村の膨大な文章を筆写・編集することによって編み上げられた内村鑑三の〈自伝〉なのである。
内村の自伝としては『余はいかにしてキリスト信徒となりしか』(鈴木範久訳、岩波文庫、二〇一七年)がある。これは一八九五年に刊行された英文の自伝であり、当然のことながら、青年期までしか書かれていない。他方、斎藤は「足跡」で、内村の六九年の生涯全体を描く〈自伝〉をつくろうとしたようにみえる。
斎藤宗次郎は、この伝記の編集者であり、注釈者であり、挿絵画家である。内村のことばをつなぎあわせてテクストをつくり、そこに(二字下げで)注釈を書き加え、自筆のイラストや地図などを配置する。このようにして、絵日記のようにもみえる、内村の没後のようすまで描かれた不思議な〈自伝〉が成立する。
この「内村鑑三先生之足跡」において、斎藤宗次郎はあくまでも「編集者」的な位置にとどまろうとしている。斎藤は『恩師言』や『聴講五年』といった他の著作ほどは、自分の存在を打ち出していない。しかしそれでも、その膨大な手書きのデータを通して、斎藤宗次郎という「書き手」が浮かび上がってくる。
本書の冊子に収録されたふたりの編者による解説と論文は、斎藤宗次郎を考える上での基礎文献である。岩野祐介の解説「内村鑑三研究と斎藤宗次郎」と、児玉実英の論文「斎藤宗次郎のプロフィール」である。内村鑑三・斎藤宗次郎・宮沢賢治にかんする参考文献も充実している。
そこからみえてくるのは、晩年の内村鑑三「先生」に身近で仕え、その没後も数十年にわたって「恩師」の記録を作りつづける「弟子」の姿である。その姿勢は、内村の弟子のなかでも、南原繁や矢内原忠雄のような著名な知識人とはかなり異なっている。
本書の緒言「推薦のことば─斎藤宗次郎を思う」で、山折哲雄は斎藤の姿勢を「臨書」になぞらえている。書の世界で、手本を見て字を写すことである。齋藤は「クールな臨書的態度」(山折哲雄)で、師・内村の「文章」や「文字」を書き写す。そこから生まれた大著『内村鑑三先生の足跡』は、内村の伝記であるだけでなく、〈師弟の伝記〉としても読みうるはずである。
赤江達也
あかえ・たつや=関西学院大学社会学部教授